SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 7/26(火) メモ、ほぼ日メモあり

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・個人のメールマガジンが、いくつもスタートして、
 いくつかはお試しで読んでみたり、
 有料のものを購読したりしていたけれど、
 いつのまにか、ひとつ止め、ふたつ終了していき、
 気がついてみたら佐々木俊尚さんの有料メルマガだけが、
 やめないままで残っていた。
 意見の相違だとか、なにを求めているかによって、
 購読者の考えもちがうだろうから、なんとも言えないが、
 一通ごとのメールに、しっかりと考えた文章を書き、
 丁寧に「読むべき」記事を列挙しているメルマガは、
 ぼくにとっては、課金に納得できるものだと思っている。
 ずっと、読みごたえのある思考の跡が届けられている。
 
 個人の表現を、個人が管理して仕事にしていくのは、
 とてもいいことだと、ぼくは思っている。
 いいものなら、いい評価を受けるだろうし、
 たいしたことないものでも、それなりの評価を受ける。
 トータルで食っていけたら、万万歳だ。
 ただ、ひとりの仕事をずっと、ある程度以上の水準で
 続けていくのはとんでもなく大変なことだと思う。
 なまけてしまうとか、飽きてしまうというのはもちろん、
 反響が芳しくないときにやる気をなくしてしまったり、
 購読者を増やしたいあまりに、危なっかしい情報や、
 スキャンダラスな物語に飛びついてしまうとか、
 忙しさのあまりに、取材が疎かになっていっていくとか、
 自ら堕ちて行くような罠はいくらでもある。
 だから、並外れた「ひとりの企業努力」が必要になる。
 これは、なんて言うか、
 「決意」や「情熱」だけでは補えないものなのだ。
 
 怪しげな「情報商材」とかいうものまでも含めて、
 急いでビジネスを成り立たせようとすると、
 じぶんのサイズを大きく見せようとすることにもなる。
 ずっとうまく行ってるように見せ続けないと、
 購読者が離れてしまうのではないかと不安にもなる。
 そういう誘惑から距離をおいて、等身大のまま
 表現活動を続けている人は、それだけで価値だと思う。

 ツイッターにあった高峰秀子さんのことば。
 「信用だけでしょ、しょせん人間の宝は。」

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「等身大」なら小人物なりに信用ができる、が信条だよ。