「飴ちゃんになりたい」という救い。
僕はいつまでたってもしょーもないですが、
「しょーもなくても笑って誰かに会える人」って、それだけでずいぶんと強い人だな、と思う日々でした(です)。
「お互いがつらい時にでも、会えて時間を共有できるのが友人だ」という言葉を聞いたことがあるけど、その意味で僕は、だいぶ多くの友人と疎遠になった自覚はある。
とかなんとか、けっこー前からたびたび流れるこれを見るたびに痛感する。
もう戻れそうもない人たちがたくさんいるけど、飴をカラカラ渡しにいきたいと思える人がまだいる。それが救いというか、セーフティー機能の一つではある。
あと、たまに見返すグリコは、本当にいろいろとあぶない。良い意味ですよ。