Twitterログ 7/27(水)メモ、ほぼ日メモ
この抜け感を作れるってほんとセンスがあると思うhttps://t.co/oFFbpKERq3
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
なるほど〜。その言葉の感じはすごくわかる。その単語だけに反応して言葉を入れ替える、なら、作れる人にはそこまで難しいことじゃないのかなどうなんだろう。https://t.co/HHLMUsHTOP
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
「ウォーリーを探せ」よりむずいんじゃないかhttps://t.co/umuRd6GQSl
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
ふむふむ。僕は長いものの中から探して読むことが少ないので、そのショートカットキーの機能すら今知ったけど、そういう行動をトリガーにして反応するようにできるのは興味ある。
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
「コピー」と「ペースト」はさすがによく使うから、なんかあるかな。https://t.co/jKYnHFiFoh
自動的に登録している友達のアカウントをスキャンし、悲しげなキーワードやフレーズを残している友達をピックアップ。彼等には“Yellow Convenience Store”で使える携帯クーポンのダウンロードに必要なコードが送られる。https://t.co/4EEYgPPZbr
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
このアプリを見た時は、本当に学校で学ぶ内容べきものってのを思わされましたhttps://t.co/0ucMAiSgwi
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
相互のインスパイアのチェーン、アーカイブ、ソーヤルメディアを通じて共有https://t.co/J1TamSwU8n
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
溺れる恐怖をwebで疑似体験。ライフジャケット・ブランド。不意に海に落ちる主人公に同化、ヨットに戻るべく、手足をバタバタさせなければならない。方法はマウスのスクロール。全力且つ継続的にスクロールしなければ、たちまち溺れる。https://t.co/0xc9bIFWYL
— SuperBallkun (@s_ballkun) July 26, 2016
街の大きいディスプレイやらプロジェクションマッピング使ってゲームするのはいくつも見たけど、どれも1人でやるものか、1対1ぐらいなイメージだけど、もっとチーム組んで勝負ってやるゲームってないのかなーあったかなー。
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年7月27日
懐かしい。多機能の面を、まとまって伝えられている印象のある珍しいCM。今になっても、やはりgoogleさんはお強い。https://t.co/OL6jeFSWWb
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年7月27日
この遠足は行きたい。電車の窓に細工したのとか見てたけど、それに近い系統が順当にレベルが上がったと。https://t.co/BWH8E7bJob
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年7月27日
ほぼ日、今日のダーリンより
・「どういうところが、いちばん苦労しましたか?」
という質問は、ほんとうに多い。
ぼく自身も、いろんな場面で何度も訊かれてきたし、
ぼくが人に訊いていることもあるだろう。
その質問には「あんがい、苦労してないんですよね」
と答えてはいけないような雰囲気があって、
とりあえず無難に「すっごく寒い場所だったんで」とか、
「なかなか、これというかたちにならなくて」とか、
それらしいことを言うことになる。
苦労したところを、あえて探せばいくらでもあるだろう。
ただ、そこが重要だとは思えないのだ。
なにかができあがったときに、
「こんなのができた。見てくれ」という気持ちがある。
わぁとか、ううとか、ひゃーとか言ってほしいのだ。
いや、じっと黙りこくってしまう反応もうれしいかな。
どちらにしても、見てほしい、味わってほしい。
見えるように感じられるようにつくったものを、
まずはたのしんでほしい、というのがいちばんだ。
だけど、それより先に「どこが苦労だったか」という
楽屋裏の話を訊きたがるパターンがとても多い。
なにか、ここだけの特別な情報を知りたいのかなぁ。
たしかに、そういうものは商品価値がありそうだから。
でも、ほんとはひょいっと口で言えるような情報は、
それほどの価値なんかないよね。
苦労している人、なにかで大変な思いをしている人、
そういうものの話が、けっこう人は大好きなのかな。
「ああしてへらへらしてるけど、実は苦労している」
というと、なんだか認めてやりたくなるのかしらね。
そういう意味では、「苦労してないです」と
しれっと答えてしまうのは礼儀知らずということなのか。
なんて書きながら、ぼく自身はインタビュアーとして、
どれくらい「苦労しましたか」を訊ねたかなぁと、
思い起こしてみたのだけれど、たぶんすごく少ない。
逆に相手が「苦労話」をしはじめたりすると、
「あぁ、そりゃぁ大変でしたね」と流してしまいそうだ。
たぶん見たいものが「苦労」じゃないからなんだろうね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「苦労」を観賞したがると、なにかが見えなくなるよね。