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SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 9/19(月)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・日本の街の景色が、「看板だらけ」だということは、
 景色の表現を仕事にしている人には、よく知られている。
 いくら建物や道路を描いても、街のように見えないのだ。
 そこに、看板やネオンサインを加えると、
 びっくりするほどリアルな日本の街ができあがる。
 
 ぼくは、いわゆる「趣味のいい」という領域には、
 なるべく行かないようにしている凡人なのだけれど、
 「看板だらけ」というのは、やめたほうがいいかなぁと、
 なんとなく思っている。
 「われも、われも、われも、われも、われも」という
 自己主張の群がりは、結局うるさいだけになってしまう。
 宣伝広告としても、あんまり得でないと思うのだ。

 テレビでも、ぼく個人としてはだけど、このごろは、
 いわゆるバラエティ番組がうるさくて観られなくなった。
 大人数が出てきて「われも、われも、われも」なのだ。
 そのにぎやかさがよくて、観ている人もいるだろうし、
 昔のじぶんは、それが気にならなかったのだから、
 そういう番組はよくない、というつもりもないが、
 「われも、われも、われも、われも」のスタイルは、
 逆に表現の幅を狭めているような気もする。

 これが成功例と言えるかどうかはわからないけれど、
 「Apple」の商品なんかは「看板だらけ」の逆で、
 不親切だとかも言われつつ、個性になっている。

 なにかとお騒がせの『週刊文春』の表紙には、
 内容についての文字やら惹句やらが一切ない。
 書店やコンビニの店頭で多いに不利になる、と、
 たくさんの人たちが考えているかもしれないが、
 現実にそうしなくても売れているらしい。
 ま、それでも「内容を表紙に入れたらもっと売れる」と
 いう意見を持っている人も、いそうだけれどね。

 なんか、いまの日本の「看板だらけ」というか、
 「われも、われも、われも、われも」の自己主張は、
 もう、古くさくなっているんじゃないのかなぁ。
 かえって迷惑だとか、うるさいばかりだという人が、
 そろそろ少数派じゃなくなっているように思うのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」はどうなんだと言われたら、試行錯誤中ですと。