Twitterログ 9/18(日)メモ貼り、ほぼ日メモ
— SuperBallkun (@s_ballkun) September 18, 2016
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メキシコ撮影、出演者は現地でスカウト、らしい。じゃないとこの雰囲気は出ないっすよね。1994https://t.co/jGNlKI0Va0
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1988って生まれる前かー。たまにむしょーに食べたくなる。https://t.co/i6H7NkaoYB
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「教えてあげないよ」をどれだけチャーミングに届けるかで構成してるんじゃないのかなと。なんやかんや教えてあげないってことをCMで言うってあんま見たことないし。https://t.co/j5XLVrfmAo
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ぶっ飛んでる笑。リズムに乗ったコピーも印象に残るし、まず商品名がヤバいし、全体の印象としてツッコミ心しか生まれない。
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(全然関係ないけど、チャーリーとチョコレート工場思い出したのはなんなんだろう)https://t.co/ucq9jDqBCX
→まさかPVまで作ってるとは。笑(これさらにチャーリー感出たよ絶対。)これ系見てると、撮られてる側の心情を妄想してさらにクスる。「いつになったらなれるのかしら」じゃなく、「いつになったら卒業できるのかしら」って思ってんだろー的なhttps://t.co/f6M6Cc181D
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耳に残りすぎてるhttps://t.co/OJLeM4JHrU
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→前のやつに比べたらさすがに残る度合いじゃ勝てないけど、流れはずっと続けてると。https://t.co/ZsX6SNqx6A
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連呼系はいくつあるんだろうhttps://t.co/hCseRDYFYC
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このかわいらしい圧迫感というか切迫感はなんだろう。これもめっちゃ覚えてるhttps://t.co/HH8hTLEX4s
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→そんでこの子らも覚えてる。テレビ番組に出るほどだったのも。(これは元ありきだから違うけど)前のやつとか、こういうのって曲作る人のグッと引っかからせるセンスありきな気がして、どんな風に提案するんだろっていうのも気になる。https://t.co/J6yWKaHNp9
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定番の名作だけど、改めて見ても歌と合わさった語感の気持ちよさが群を抜いてる。「これ一本」とか「ボボボ」とか、社名まで気持ち良く挟み込んでるように聞こえるのがすごい。もちろん絵のすごさありきだけど。https://t.co/p7UkzcfN57
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キャラクター名は「パピプペンギンズ」らしい。https://t.co/qA6DEkH7T0
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このcm云々はあまりないけど、山口さん見ると、ガチの夫婦で揃った映像を見たくなるhttps://t.co/LX3pMRPinD
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0:30〜とか、この人に言ってもらえるからっていう典型。愛される人ってこういう人だよねっていうのが強く感じる。トモダチナラアタリマエ〜https://t.co/kroIRBwJn7
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この言葉の返し方というか、流れの超え方って一つある。https://t.co/j8jsU1Ci6L
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コミカルなイメージしか記憶になくて、〜1:50がちょっと意外だった。https://t.co/PCvNydkCB9
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作品一つだと見たい気も起こらないのに、展覧会ってなるとちょっと見てみたい気もするのはなんでだろう。数による特徴把握とかできんのかなってふと思えるからだろうか。https://t.co/bB9aWEj2CS
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ほぼ日、今日のダーリンより
・犬や猫ばかりでなく、生きものの世話をするときに、
教科書的な本を読むと、ほとんど書いてあることがある。
「清潔な水を用意します」である。
生きもので、水を必要としないものは、おそらくない。
だから、なんども目にした文章だ。
生きものを飼うことになったときに、
寝床、食事、運動、と、考えなくてはいけないことは、
それぞれたくさんあるにちがいない。
でも「清潔な水」は基本中の基本だろう。
ぼくは、このフレーズが大好きになっていた。
とても、おおげさに言ってみる。
清潔な水が用意できる環境は、人の責任である。
それを、確実に与えられる実力がなくてはならない。
清潔な水を得られるまでの人の歴史に思いを馳せよ。
いまも、清潔な水の確保できない場所や人がいる。
そういうことをすべて含めて、言えるのが、
「清潔な水を用意します」なのだ。
「清潔な水を用意します」を基本にして、
おまけに、「人間の飼い方」ということも考えてみた。
人間とは、ぼく自身のことでもあるし、
他のすべて人のことでもある。
人間を飼うなら、これが最低の義務だということとは?
「清潔な水を用意します」
「暑さや寒さから身を守れる部屋を用意します」
「清潔な寝具を用意します」
「栄養があって、おいしい食事を与えましょう」
ここまでだけでも、他の動物と同じように必要なことだ。
ここに、あと、なにが入るのだろうか。
「他の人間たちと、自由に会える環境をつくります」
「じぶんで生きていける方法を教えていきます」
「特に目的のない遊ぶための時間を確保します」
「安心して生きられる環境を用意します」
まだ、もう少しありそうだけれど、
ここまでのことは、必ず必要なことだという気がする。
刑務所は「他の人間たちと、自由に会える環境」だけが、
与えられていないということなのだろうな。
こんなことを整理してみると、
ホームレスをやっていくのは大変なことだよなぁと思う。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あたたかいベッドで寝られる。これがぼくの感謝の源泉だ。