SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 11/14(月)メモ貼り

Twitterログ 11/13(日)メモ貼り、ほぼ日メモ。

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・犬とか猫は、おもちゃで遊びます。
 なにか狩猟本能のようなものを満足させるのか、
 エサを手に入れたよろこびを噛みしめるのか、
 遊びの理由はよくわかりませんが、よく遊んでいます。

 人間も、おもちゃで遊びます。
 もののかたちをしたおもちゃもあるし、
 ルールブックというおもちゃもあります。
 クイズやなぞなぞ形式のおもちゃもあります。
 観ているだけでたのしめるおもちゃもあり、
 乗ったり走ったりするおもちゃもあります。
 考えようによっては、仕事と呼ばれているものだって、
 ある時間、それをする人を遊ばせてくれるおもちゃ、
 とも言えるのではないでしょうか。
 なんでもかんでもみんな、ぴーひゃらぴーひゃらです。
 宇宙へ旅立つロケットだって、大伽藍だって、
 最先端のファッションだって、絵画だって、芝居だって、
 小説だって、映画だって、みんなおもちゃです。
 
 「おもちゃじゃない、ホンものだよ、真剣だ!」
 そう言われたら、そうかもしれないし、それでもいい。
 だけど、人を夢中にさせてくれる時間を、
 人といっしょに生み出してくれるのだから、
 おもちゃと言ってもいいようにも思いませんか。
 
 そしてそして、人間のいちばん好きな、
 人間にとって最高のおもちゃは、人間だと思うのです。
 「人をおもちゃにする」という言い方をしたら、
 なんだか人道的でないようにも聞こえましょうが、
 それがあるから遊べていると思えば、おもちゃでしょう。
 よろこびや、悲しみや、怒りや、苦心や、向上心や、
 同情や、共感や、恐怖や、疑問や‥‥いろんなものを、
 人間というおもちゃは、人間に与えてくれます。
 たくさんのおもちゃで、たっぷり遊ぶのも経験だし、
 ひとつだけのおもちゃとじっくりつきあう遊びもある。
 ときには、じぶんという人間をおもちゃにして遊ぶ、
 ということだって、よくあることです。 
 そういえば、タモリさんがじぶんのことを、
 「国民のおもちゃ」と呼んでいたっけなぁ。
 それは、ひとりの男の、ある意味、力強い自負ですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
I Toy.ワタシハ オモチャ‥‥遊びをせんとや生まれけむ。

 

全くもってその通り。さすがでございます。

Twitterログ 11/12(土)ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・うまいものとは「でんぷんとあぶら」だと、
 そんな広告もあったと思いますが、
 つくづく、そういう気がします。
 でんぷん、というか炭水化物は、
 そのまま、いまのエネルギーを調達するものですし、
 あぶら、というか脂肪は、
 エネルギーを蓄えておけるありがたいものです。

 人類が食料に苦労しないで生きていけるようになったのは
 つい最近のことでありますから、
 身体も脳も、「食えるときには食っておかねぇとな」と、
 欲深なものとしてできております。
 考えとして、小食でいようとか、炭水化物を減らすとか、
 油ものは控えてとかの「食事管理」はしていますが、
 哺乳類の頂点に立つ猿としての人体は、
 「もっとあぶらを、そしてでんぷんを」求めています。
 
 で、思ったのです、
 日本に長いこと暮らしている人間たちの、
 もっともわかりやすい「でんぷんとあぶら」とは、
 要するに「たまごかけごはん」じゃないだろうかと。
 これ、「要するに」という部分が大事です。
 白米、これについてはフィックスしていいでしょう。
 日本人の食べる日本の主食としてのコメは、
 信仰であり憧れであり日常であり満足であります。
 これに、「要するに」「たまご的なもの」を足すと、
 「こんなうめぇもんはねぇぞ!」「な!」と、
 88%くらいの人たちがおおよろこびをしてしまうのです。
 
 ニワトリの卵は、もちろんですが、
 イクラと呼ばれる魚卵も、キャビアという魚卵も、
 白いめしにかけて混ぜれば「たまごかけごはん」です。
 さらに、牛肉や豚肉を煮たり焼いたりして、
 脂ごと細かく刻んでごはんにかけて混ぜれば、
 これも、「要するに」「たまごかけごはん」なのです。
 まぐろのトロの部分なども、もちろん卵じゃないけど、
 同じく「たまごかけごはん」のおいしさに数えられます。
 いっそ、バターをごはんにまぜても、そういうことです。
 えーと、11月のある土曜日、なにが言いたいかというと、
 おれもおまえも「たまごかけごはん」が好きだな、と。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ものすごく眠いので、書き飛ばして、大阪へと向かいます。

Twitterログ 11/11(金)ほぼ日メモ

(実際11日のTwitterじゃないけど、もう習慣なんで失敬)

 

 

今日のダーリンより

・ぼくの11月10日の誕生日に
 お祝いのメッセージをくださった方々に、
 この場からお礼を申しあげます。
 ありがとうございました。

 毎年、「ほぼ日」の乗組員一同は、
 ぼくの誕生日を祝うという名目で、
 いろんなイベントを考えて、それをたのしんでいます。
 昨年まで、いちおう「サプライズ」という形式で、
 主役という役割のぼくに知らせずに、
 さまざまなプランを実行していたのですが、
 今年は、ちょっと自信がなかったせいなのか、
 非公式にぼくのところに訪ねてきて、
 「こういう企画なんだけど、どうだろうか?」と、
 サプライズ企画の根回しをしてくれたのでした。
 そこで、ぼくは「それは、こういうことになるぞ」と、
 ダメ出し的な感想を述べました。
 サプライズ委員会(仮称)は、なるほどと納得し、
 ぼくの逆提案したプランに賛同してくれたわけです。

 表参道からロマンスカーで箱根に行く。
 そこから、それぞれが自由にたのしんで、
 夕方に再集合して夕食とおたのしみ会に移動する。
 ざっくり言えば、こういうことです。
 箱根の「日帰り温泉」というのは、
 ものすごくいっぱいあってコンテンツに満ちてます。
 ハズレくじなしの自由行動ができるはず‥‥。
 「だれだったかの、なんだったかの日」にかこつけて、
 一日をのんびりたのしく過ごすには、
 まことに理想的な場所だったと思いました。
 
 あんのじょう、「だれだったか」さんも含めて、
 ご一同、温泉地帯をのんびりもぐもぐたのしんだようで、
 まことにいい一日になりました。
 そして、ぼくは、あらためて思ったのでした。
 熟若男女の「ほぼ日」のみんな、
 「TOBICHI」のアルバイトさんもぜんぶ含めて、
 100名ちかくの人たちが、ほんとうによく笑う。
 実に、「笑えるというのは、力だ」と。
 飛んで刺すのはカですが、笑えるのは力だと思いました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
すっと「沈黙できる」、ぱっと「笑える」チームです。

Twitterログ 11/10(木)ほぼ日メモ

 

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・昨日から、とてもおおぜいの人々が、
 いつもとちがったことを考えていて。
 一日明けてもまだ、どう考えればいいかについて、
 あんがいやめずに考えることを続けていて。
 だれかそれらしい正解を言ってないものだろうかと、
 ネットやらテレビや新聞やらを探していて。
 やがてそういうことをしているのに疲れて、
 なにかがわかったような気になって、飽きて。
 ‥‥いつもの日常に帰っていく、おそらくね。

 そんな今日が、じぶんの誕生日だということで、
 ちょっと損しちゃったというような気になっています。
 
 それにしても、たぶん、しばらくの間は、
 もっともらしい解説や、また聞きや、
 意外な事情通の情報みたいなものや、
 推理ゲームなどがくりかえされるのだと思いますが、
 こういうときは、しばらく、
 情報から距離を置いてもいいかもしれませんね。
 急いでなにか手を打たなきゃならない人や、
 判断が遅れたら大変なことになるような人は、
 それほどたくさんはいないのではないでしょうか。

・いまの多くの人は、「知らなきゃいけないこと」
 という幻想にがんじがらめになっています。
 世界の経済や政治の動向、流行のファッション、
 スポーツやエンターテインメントのあれこれ、
 仕事に関わってきそうな理論やら調査のデータ、
 じぶんが他人にどう思われているか、
 ともだちや家族のこころの奥のこと‥‥。
 探せば、もっともっといくらでもありそうです。
 で、知ったからなにかが有利になる、ということもなく、
 ただただ時間をそれに費やして混乱するだけです。
 ほんとうに知っておきたいことは、あまり多くない
 (そういうことについては、真剣に知りましょうよ)。
 でも、周囲と話を合わせたり、
 バカに思われないためという程度の知識なら、
 あわてて仕入れることもないと思うのです。
 ま、趣味や娯楽や商売として知識のやりとりをするのも、
 わかってやっているなら、いいのかもしれませんけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
例年のサプライズ形式をやめ、堂々と本日は温泉に向かう。

Twitterログ 11/9(水)ほぼ日メモ

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・いまの時期、わりとめまぐるしく、
 さまざまな大事なことやら、むつかしいことやら、
 いかにもおもしろいことやらが、
 渦巻いているのですが、副作用は眠いことだけです。

 どの件に関わっているときでも、
 共通して思っていることがあります。
 「もったり、ふかしたりしない」から、らくだな、と。
 うそをついたり、だましたりするのは論外ですが、
 知ってるぶったり、口だけの楽観を語ったりしないで、
 「お恥ずかしいのですが」とか言い訳しつつ、
 原寸大のじぶんたちのままで、
 たいていのものごとに取り掛かってきています。

 背丈も実力も、見たとおり。
 できることも、およそこのくらい。
 それでも、そこそこやっていけるし、
 「もったり、ふかしたり」してないから、
 ややこしい辻褄合わせをする必要もないわけです。
 なにをするにも、これは、ほんとうにらくです。

・予告みたいなつもりで言ってしまいますが、
 「ほぼ日」の新年企画で、
 料理研究家の土井善晴さんにお会いしました。
 前々から、いいなぁと思ってましたが、
 お会いして、あらためて共感することが多くて、
 たまらない時間でした。
 新年企画という名目で、新しい風が入ります。
 2016年のお正月には、申年にちなんで、
 京都大学総長の山極壽一さんをお迎えしました。
 2017年は、酉年にちなんだわけではないのですが、
 土井さんにお願いしました。
 「ほぼ日」は、食べることだとか料理だとかについて、
 それなりに縁のあることを続けてきていますが、
 土井善晴さんの考えていること、やってこられたことが、
 食ばかりでなく、この先の生き方への
 大きなヒントになると思っています。
 近著『一汁一菜でよいという提案』というタイトルにも、
 なにか大事なことを語っているという予感があるでしょ。
 この対談、読めるようになるのは年が明けてからです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ことばの根と幹は沈黙である」を、ますます感じてます。 

Twitterログ 11/8(火)ほぼ日メモ

 

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・一日のうち、どの時間がいちばん元気で、
 どのあたりの時間が、いちばんさえないだろうか。
 小さいこどもなんかだと、眠くなる直前とかが、
 とても機嫌がわるくなったりする。
 ぼく自身は、どうなんだろうか。
 じぶんの「ごきげんサイクル」みたいなものを、
 だいたいの体重の変化や、ふだんの体温のように、
 知っておくといいのではないか、と、思いついた。
 そしたら、考えるまでもなく、すぐわかったことがある。
 
 まず、絶対に、まちがいなく、もれなく、
 起きぬけが不調である!

 目覚ましの鳴る音を止めた、その瞬間から、
 10分間くらいは、人間として使いものにならない。
 目は開いているけれど、なにも見えてない。
 なにかしゃべっていても、本人には意味がわかってない。
 着替えのために脱いだ下着を履いてしまうかもしれない。
 もう一度寝ていいとだれも言っていないのに、寝る。
 そして、なんだかとにかく調子がわるいのである。

 ここから、歯をみがいたり、体重を計ったり、
 着替えたり、ときには朝風呂に入ったりしながら、
 じょじょに人間に進化していくことになる。
 スポーツ紙が活力注入してくれることも、なくもない。
 もし、この起床後10分から30分くらいの時点で、
 対談の仕事などがあったとしたら、おそらく地獄だね。
 いやそうな顔して、なに言ってるかわからないおれに、
 相手の方は、ただただ、なにかをガマンするのだろう。
 
 で、この絶不調が収まりはじめるのが、1時間後かなぁ。
 それくらいからは、ずっと平常運転でイケる。
 夜、というか、朝方に就寝するまで、あとは好調だ。
 起きぬけだけが、抜群に調子わるいということなのだ。

・こういうぼくに、なんとなく必要なものを思いついた。
 起床後の不機嫌に効く、「起きぬけスッキリ目薬」だ。
 顔を洗うより前に、起きたら1滴、目に落とす目薬。
 なんとなく、これさえあれば変われると思うんだよなぁ。
 刺激の強すぎるのは、いやだよ、やさしいのがいい。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あと「起きぬけスッキリ水」とかも、よさそうな気がする。

 

激しく同意。