SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 10/7(金)メモ貼り

Twitterログ 10/6(木)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

ほぼ日、今日のダーリンより

『ティファニーで朝食を』というあまりに有名な映画を、
 これまでぼくは観てなかったわけです。
 原作がトルーマン・カポーティで、
 それはもう、どうせおもしろいと思うんです。
 主演が、花盛りのころのオードリー・ヘップバーンです。
 そういえば、この人の他の映画は観てました。
 そして身長が175センチあるんだぜ、と、
 まつがった情報を他人に伝えてもきました。
 ほんとうは170センチですって。
 大きなサングラスをちょっとずらした表情は、
 この映画をはじめて観るぼくにもなつかしい、
 ある時代のアイコンみたいな映像に見えました。
 しかし、観てなかったんだな『ティファニーで朝食を』。
 
 それが、なんかテレビにちょっと差し込むものを買って、
 「Hulu」とかいうやつを観られるようにしたら、
 その献立のなかに『ティファニーで朝食を』が、
 あったんですよね、海外ドラマシリーズの隙間に。
 で、ちょっと観はじめたら、
 想像していたのとちょっとちがっていた。
 わるい意味で言ってるんじゃないですよ。
 けっこうわざとらしいまでの「こ洒落たセリフ」、
 そんな映画みたいなと言いたくなるほどの、
 けっこう「わざとらしい状況設定」、
 そうか、そういえば昔の映画って、
 みんなこんなふうに「映画映画した感じ」でした。
 「これはお話なんですよ」と言外に言ってるようなね。

 いま観ている映画の「リアリティ」みたいなものって、
 いまの時代のひとつの「流行」みたいなものなんだなぁ。
 そういえば、日本の時代劇のなかでも、
 五社英雄監督が、チャンバラと呼ばれた様式美の世界に、
 肉を斬る効果音をつけて注目されたことがありました。
 それまでは舞踊のような殺陣がリアルに見えてたんだね。
 洋画邦画を問わず、リアルに見える表現って、
 時代によって変わるんだなとも思いますねぇ。

 とか言いながら、ぼくはまだ『ティファニーで朝食を』を
 観はじめて15分くらいのところにいるんですけどね。
 この原稿書かなきゃという時間になっちゃって‥‥。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
思えば、あらためて小津安二郎って時代を超えてるよなぁ。

Twitterログ 10/5(水)メモ貼り

Twitterログ 10/4(火)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・ずいぶん、何年も何年もくりかえし生きてきたけど、
 毎年かならず言われていることがあった。
 「今年の天気はちょっと変だね。ふつうじゃないよ」だ。
 特に夏の暑さや、冬の寒さや寒くなさ、
 そして雨の多い少ないに関係して語られる。
 一度として、「今年の天気は、ふつうだねぇ」
 ということは語られていない、一度としてだ。

 健康についても、似たようなところがあって、
 「最近、おれ、すっごくふつうなんだ」とは言わない。
 腰が痛くてとか、微熱があるような気がするとか、
 なにか「本来あるべき状態にない」ということを、
 探しては明らかにしたりしている。
 
・ふつうである、ということは、わかりにくい。
 体温なんかだと、ふつうであるという数字があって、
 それを目安に「ふつうじゃない」がわかる。
 この体温みたいなものっていうのが、
 ほんとうはいくつもあるのだと思う。
 おそらく医者や看護師なら、
 「ふつう」のものさしをいくつも知っている。
 おそらく、心臓の鼓動、顔色、小便の色、震え、
 瞳孔の状態、呼吸、まだまだあるんだろうな。
 それから外れていたら、「ふつう」ではない、と。
 ただし、外れているからといって「大変」でもないと。
 ほんとうに「大変」な場合と、
 外れているけれど「様子をみましょう」な場合と、
 どちらかを診断して、どうするかを決める。
 
・世の中で騒いでいることにも、
 ほんとうは「ふつう」のものさしがあるのだ。
 これくらいだと「ふつう」で、これを外れることもある。
 そして、これ以上だと「大変」というふうにね。
 それは、医療だけでなく気象でも、なにかの汚染でも、
 政治や経済や文化の状況なんかでも、
 36度8分で「大変だ高熱だ死ぬー」というわけではない。
 他の指標と照らし合わせて、ゆっくり寝てましょうとか、
 痛み止めを飲みましょうとか決めるのが判断だと思う。
 「ふつう」の範囲は、あんがい広いものなのだ。
 人間も、世界も、もろいけれどわりと強いものだ。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
日本って歴史的に見てそうとう自然災害の多い島国だよね。

Twitterログ 10/3(月)メモ貼り

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・無人島に一冊だけ本を持っていけるとしたら、
 どの本を持っていきますか、だとか、
 地球滅亡の時が迫っているとして、
 最後になにかひとつだけ食べられるとしたら?だとか、
 考えることのゲームとしての古典的な質問がある。
 あんまり親しくなってない人に、
 そういうことを訊かれたりするのも困るけれど、
 たまには、ともだちとそんな話題になることもある。
 
 最後の食事については、雑誌で訊かれたことがあって、
 ふだんアンケートとかに答えない無精者なのだけれど、
 どういうわけか答えたくなって、あらためて考えた。
 回答の最後の仕上げは、その店まで出向いて、
 その料理を食べるところを撮影されるという企画だった。

 ぼくは、たい焼きで有名な「麻布十番浪花屋総本店」
 「焼きそば」にしようと決めた。
 もちろん、大ごちそうではない。
 老舗の、名店の、高級の、といった修飾語も必要ない。
 店にさえ行けば500円程度で食べられる。
 あんまり格別な材料を使っているようにも思えない。
 ただ、ぼく自身がいろんな焼きそばを食べてきたなかで、
 これが「いちばん好きだ」と思っている焼きそばなのだ。
 具は粗っぽく切ったキャベツと、揚げ玉だけ。
 輪ゴムのような弾力の麺と、ソースも気にはなるが、
 問われて名乗るもおこがましいといった風情のものだ。
 そして、これより好きな焼きそばに出合ったら、
 特に義理を立て続けるつもりもないので、
 そっちに浮気してもいいと、ぼくは思っている。
 しかし、何十年そう思いつつも、ずっと、
 ここんちの焼きそばが好きだ、と食べ続けている。
 店に食べに行ったら、お土産用もつくってもらって、
 3パックか4パック、冷凍庫で眠っててもらう。
 後にこれを発見したときのうれしさったらないよ。
 
 最高とか、ランキングとか、日本一とかどうでもいい。
 お金を出しさえすれば食べられるグルメ競争も、
 数々のもったいぶったウンチクも関係ない。
 「浪花屋の焼きそば的なもの」が、あちこちにあれば、
 それは「食の豊かな國」なんじゃないかなぁと思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
焼きそばを食べるときには、もちろんたい焼きも食べるよ。

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