Twitterログ 10/22(土)メモ貼り、ほぼ日メモ
— SuperBallkun (@s_ballkun) October 21, 2016
具体的『具体的であることとは、特定の人々の特定の行動である場合が多い。例えば、一流の顧客サービスをするデパートというよりも、顧客のシャツにアイロンをかけるデパート(アメリカのNordstromデパート)と言った方がイメージが焼きつく。ずっと続いている帝国ホテルの雑誌広告を思い出す pic.twitter.com/NawDRBc3ZV
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年10月21日
→具体的な言葉は、新しい概念の理解を助け、協調を促す。それは、目標が分かりやすくなるから。例えば、前例にも出た「ポケットに入るラジオ」や「60年代末までに人類を月に立たせる」も具体的であり、人々がそれにどう関わればいいかを感じ取れる。具体的であることは知識を総動員させる。→
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年10月21日
→例えば、「白い物を思いつく限り書き出しなさい」というのと「冷蔵庫の中の白い物を思いつく限り書き出しなさい」と言うのでは、冷蔵庫の問題の方が簡単に思いつく。それは、具体的であることが脳の力を動員し、焦点を絞り込ませるための一手法だから。
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年10月21日
→
→ではもう一つ、「過去10年間に世界の人々がした愚かな事を5つ思い浮かべなさい」と「過去10年間にあなたの子供がした愚かな事を5つ思い浮かべなさい」では?答えは明らか。』
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人間でやってみる『古典的な喩えの手法だが、単純に面白いので。ドイツのオーディオシステムのCM。人間の右往左往する感じが笑いを作る肝。
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Loewe sound system "Extremely realistic sound"』https://t.co/YfFoavIjaz
2009『車の居眠り防止機能をこんな素敵なCMに仕上げてしまうなんて.. 溜息。』https://t.co/pKoT4kvCXw
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https://t.co/wQ759Zx4FPhttps://t.co/CiICzhAVO2
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ほぼ日、今日のダーリンより
・さんざん釣りをしているころ、
高級魚と言われるような魚が釣れると、
だれかが「買ったらいくらぐらいする」と言ったりする。
それだけ価値のあることだと、認め合いたいわけだ。
しかし、よほどの釣果をあげていたとしても、
現地までの交通費やら、釣り船の乗船経費には届かない。
さらに、エサ代も、竿やらリールやらの費用もある。
もうちょっとしらけることを言うならば、
釣りの準備をする時間、往復の時間、釣りの時間を足した
けっこうな長時間を、時給で支払ったとしたら、
どれだけの赤字になることだろうか。
これまたよく言われる冗談で、
「この魚は、高いよ。ものすごい金かかってるから」
というのもあるけれど、これは事実ではある。
交通費も、乗船の費用も、道具もエサも、
ぜんぶ経費として出してもらって、しかも、
賃金さえもらえるという釣りもある。
これはつまり漁師さんとして船に乗るということだ。
おんなじ釣りでも、まったく真逆である。
そして、前者の趣味でやる釣りについては、
「やりたくてやりたくて、好きでやる」ものである。
漁師さんとして釣りをするのが、
「嫌いでしょうがない」とは言えないだろうが、
趣味でやることとは、まったく別だろうとは思う。
好きで、遊びとしてやることについては、
基本的に自腹の時間、自腹のお金、自腹の労力を使う。
得られるものは「魚」だったり「名誉」だったり、
だと思っているかもしれないけれど、
ほんとうはなんなのだろうか。
徹夜でゲームをやっている人にしても、
それが雇われた仕事で時給いくらでやっているとしたら、
たぶん、どこかでやめたくなっていることだろう。
そして、さらに、釣りでもゲームでも、
ある程度のところを超えてやり続けていたら、
きっと「もうやめたい」と思うにちがいない。
遊ぶとか、はたらくとか、趣味だとか仕事だとか、
スカッと「こうするべきだ」と言うのはむつかしいなぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「バランス」ってことばが、なんかすごく大事な気がする。