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SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ4/18(火)ほぼ日メモ

 

今日のダーリンより

・昨日、この場で、以下のようなことを書きました。

 「かわいい」と感じたり言ったりすることは、
 2歳の女の子でもできて、しかも、すべて正しいのだ。
 「かわいくない!」と言われる筋合いはないのだ。
 なんてすばらしい概念、なんという万能で平等なことば。
 あらゆる「かわいい」は、ぜんぶ肯定されるのだ。

 お金に換算したらいくらだとか、
 どれだけ多くの他の人が認めるかとか、
 そういうことは、まったく関係なくていいのです。

 今日から、「TOBICHI2」で展覧会もはじまる
 ヒグチユウコさんとの対談で語っていたことも、
 「かわいい」に関わるんじゃないかと思っています。
 いわゆる、おおぜいの人が「かわいい」と思うことと、
 ヒグチさんが「かわいい」と感じることの間には、
 それなりの距離があります。
 その距離のせいで、ひょっとすると多くの人が、
 ヒグチさんにとっての「かわいい」を描く世界を、
 「キモチワルイ」と感じる可能性もあります。
 さらに言えば、ヒグチユウコさんは、
 ぼく個人からしたらもっと「キモチワルイ」ものを、
 それを好きだと宣言しています。
 
 ぼくもそうだったけれど、人びとは、
 そのあたりのことを理解したいと考えるようになったり、
 彼女の「かわいい」の豊潤さを、
 だんだん、うらやましいと思うようになったりします。
 やがて、ヒグチユウコの「かわいい」世界は、
 だれともちがっているのだけれど、とても説得力のある、
 しかもずいぶんと魅力的なものに思えてきます。
 「芸術に人がつかまる」というのは、こういうことかな。
 つかまってしまったその人は、どうなるかと言えば、
 いつのまにか自由と豊かさを得ているのです。
 豊かに「かわいい」を発見し育てることのできる人は、
 その「かわいい」の世界を、人びとに伝えられる。
 親をやってきた人なら、娘や息子の影響を受けて、
 新しい「かわいい」を覚えたこともあるでしょう?
 こうやって人類の「かわいい」総量が増えていくのです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「かわいい」は争わず、「かわいい」は対立してはならぬ。