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SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ4/3(月)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・なにかの用事をするわけでなく「ひとりでいる時間」を、
 みんなどんなふうに持っているのだろうか。
 たとえば、漠然とネットのなかをうろうろしていたり、
 テレビを点けっぱなしにしてながめていたりの、
 「ひまつぶし」をしている時間は、
 勘定に入れないとしての話だ。
 たぶん「ひまつぶし」とは「ひとりの時間つぶし」だ。

 家事をしている時間は「ひまつぶし」ではないけれど、
 洗濯なり掃除なりに真剣に取り組んでいる場合は、
 やっぱり「ひとりでいる時間」とはちがう。
 散歩をしながら、なにか考えたりしている状態は、
 これは「ひとりでいる時間」と言えるのではないか。
 その散歩に、動きの激しい犬がいたりする場合は、
 用事のある時間ということになってしまいそうだ。

 なにをしているということでなく、
 広い海に浮かんでいるように、「ひとりでいる時間」。
 人には、それが必要なのではないかと思う。
 人間の身体に食物から摂る栄養が必要であるように、
 人のこころにも、喜怒哀楽の感情を呼び起こすような、
 出来事やら物語やらが必要であろう。
 そして、それだけでなく、こころには、
 ただの「ひとりでいる(だけの)時間」が要るのだ。
 それは「ひま」と言い換えてもいいのかもしれない。

 眠っているわけでもなく、寝ころんで天井を見ている。
 窓の外に目をやって、なにかわからぬものを見ている。
 風呂につかって、ゆらゆらするなにかを眺めている。
 そんなときに感じている、じぶんのなかの「からっぽ」。
 忙しくて考えそこなっていたようなことを思い、
 過去のちょっとした考えをほじくりだし、
 なんのことかわからずに「どうしようかなぁ」と感じる。
 こういう「ひとりでいる時間」は、
 他の用事や、他のわかりやすい感情で埋めてはいけない。
 大事に、そこにいるじぶんと、ゆっくり話しあうのだ。
 そういう時間を、みなさま、ちゃんと持っていますか。
 ぼくは、持ってない方じゃないけど、減ってきてます。
 その「ひとりでいる時間」がたっぷりあるから、
 ひとり旅に出たくなったりするんだろうなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにかと、すきまをぜんぶ埋めようとするのはいけないね。