SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ1/25(水)ほぼ日メモ

 

 

 

今日のダーリンより

《・「肩まで髪を伸ばす」ということが、ある時代には、大きな意味を持っていた。たぶん、最初は、ビートルズが登場してマッシュルームのようにカットした長髪を、世界中の人たちに見せつけたことがはじまりだろう。しかし、このときの彼らの長髪は、きれいに整えられていて、反抗的な意味よりは、イギリスの昔ばなしに出てくる王子さまのようだった。

そのうち、なんでもそうだけれど「量の拡大」が始まる。長髪が、長さを競うようになってくるわけだ。ビートル本人たちも、マッシュルームを逸脱していった。そして、世界のあちこちの若い男たちは、「男の髪が長くてなぜ悪い?!」と、それまでの世間への疑問を投げかけていった。逆に言えば、髪を長く伸ばしているだけで、「自由を求め、体制に反逆する俺」を表現できたわけだ。そういう流行だった、という言い方も外れてはいない。「そういう俺」という「意匠」として、髪を自由に長くするということがあった。

ユーミンは「卒業が決まって髪を切ってきたとき」と、就職のために長髪の「自由」を切り捨てる学生を歌った。吉田拓郎は、「ぼくの髪が肩まで伸びて」と歌い出した。いま、そういうことについて、なにか人は思うだろうか。「で?それがなにか?」というような反応かもしれない。

髪を伸ばす、髪を切る。「髪は女の命です」という昔の人のことばがあるけれど、髪のことで、若い男たちがあんなに強情になれたのは、あの時代だけの特徴だったような気がする。おそらく、いまの人たちなら、長かろうが短かろうが、「どっちもありだな」と平然と言うようなことだろう。でも、もしかするとあのころ長髪にしていたオヤジたちは「おれたちが、体制に反抗したからこそ、どっちもありという自由な選択が勝ち取れたんだ」とか、自慢そうに言うかもしれないなぁ(しかし、いま彼らは、どうせシラガかハゲである)。いまの時代に、あの「髪の長さ」の持っていた象徴性は、どういうところに存在するのだろうか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。いまの時代に反抗的に見せたいのなら、パンチパーマかな?》