Twitterログ 6/19(日)ほぼ日メモあり
フレームの外をどう面白がるか。イジルか。
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月18日
誰のビブルカードが1番盛り上がるか
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月19日
「香り」で記憶を蘇らせる
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月19日
クラシックのハードルを下げるために「映画音楽としてのクラシック」はある。自分自身どこか反応する気がする。https://t.co/tjXJ6pNN6p
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月19日
「プ女子」ってプリッツ女子じゃないのか…
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月19日
Twitterから番組録画って聞いたことないhttps://t.co/CT2sASwYv4
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月19日
懐かしい。音楽とも合ってるhttps://t.co/2vOJdyVsFA
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月19日
絶対マネしちゃダメ!映像とか見ると、地震が少ない国の人らだなーと。
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年6月19日
ほぼ日、今日のダーリンより 6/19
・まだ梅雨も明けてないのだけれど、
真夏のような日がときどきあると、
学校のプールのことを思い出す。
どうして、あれほどプールが好きだったのだろう。
夏の体育の授業に「水泳」があって、
それはもちろんプールでやるわけだ。
しかし、雨や曇りの肌寒い日には、それはしない。
教室のなかの寒暖計が25度以上を指してないと、
その日の授業はプールではやらない決まりだった。
ぼくはいまでも夏の気温が25度以下だったりすると、
「プールはなしだな」と考えてしまうことがある。
たしかに、気温の低い日にプールで遊ぶと、
全身が鳥肌になったり、唇が真っ青になったり、
あきらかにこどもの健康によくなかった。
こども自身も寒いのはいやだったのだけれど、
それよりも水のなかでわーわー言って遊びたかったのだ。
学校で、いちばん祭りっぽかったのは、
プールでの授業だったのではないだろうか。
ぼくは、日本が戦争で敗れた昭和20年から、
3年経って生まれたこどもだった。
小学生のときには、まだ戦争の余韻が残っていたと思う。
ぼくの親の世代のことを、いまごろになって考えると、
敗戦という日から十年やそこらで、
よくあそこまで立ち直ったなぁと、ちょっと感心する。
道路や、水道や、工場や、教科書や、
それなりのインフラを整備していくのには、
なかなか大変な苦労があったろうと思うのだ。
その一部としての学校のプールを想像すると、
「あんなによろこんで、よかったなぁ」と、
大人になったぼくは、にまにま笑ってしまう。
こどものためにプールは必要でしょう、と決めたもの。
それを、あんなふうにこどもがよろこんだのだ。
つくった大人もいいことしたね、と。
よろこんだこどもも、大人孝行したな、と。
戦後の貧しい時代の小学校のプールみたいなものって、
いまだったら、なんなんだろうな。
衣食足りているはずのいまの時代の、そういうもの‥‥。
それを見つけたら、きっとおもしろいだろうなぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
修学旅行なんかにも、そういう意味があったんだろうねー。