SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ3/26(日)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・ぼくもその作品を持っているし、
 『アーツ&サイエンス』のソニア・パークさんも惚れた
 ぬいぐるみ作家の梅津恭子さんが、
 六本木の「生活のたのしみ展」に来てくれて、
 「凄いなー」と思ったというツイートをしてくれた。
 その後に「布博」にも行き、こんなツイートになった。
 <生活のたのしみ展も、布博も素晴しくて眩しくて、
 なんだかわからないけど、ちょっと落ち込んだ(笑)>
 それを読んで、もちろん「ほめられた」と思ったぼくは、
 梅津さんのツイートを引用して、こう書いた。
 <ぼくもそういう落ち込み経験をいっぱいしました。
 いまも、してます。
 それは、とても肯定的のことだと思ってます>

 梅津さんは、もうひとつツイートしてた。
 <落ち込むって悪い意味じゃないのです。
 そこの中の人として自分が居ない事を
 残念に思う落ち込み。つまり、
 それくらい素敵な空間だったという褒め言葉です(笑)
 その証拠にまだ余韻で何もできない~>
 ほんとにもう、よくわかります!

 なにか、じぶんにはできないというものに、
 大きな刺激を受けたときには、
 ぼくはよく、さみしい気持ちになったりします。
 それは、嫉妬にもよく似ていて、
 ひがみにも似ていましたが、そうじゃないのです。
 「くやしいけれど」という競争心もありながら、
 ものすごい敬意があるのです。
 じぶんが小さいもの、無力なものに思えてきて、
 そういうことを思わせてくれた対象が眩しいのです。
 「よーし!」という気持ちは、ここで熟成します。
 若いときのほうが、この気持ちになりやすいですが、
 年をとっても、これが無くなったらつまらないです。
 ぼくには、正直言って、まだまだ残っています。

 やがて、清水ミチコさんが、この一連のやりとりに
 <ええ話や>と、省エネなツイートをしてくれました。
 そして、矢野顕子が<私だけじゃなかったんだ>と、
 あの声が聞こえるようなツイートをかぶせてきました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生活のたのしみ展は雨と寒さ(予報)の本日が最終日です。