Twitterログ3/26(日)ほぼ日メモ
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2017年3月26日
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番組でUFOとか狙いうちのアレンジをやってて、えげつない技術は一旦置いておくと、遊びが似合う曲類ってあるんだなと。https://t.co/YJPXyESeq6
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2017年3月26日
今日のダーリンより
・ぼくもその作品を持っているし、
『アーツ&サイエンス』のソニア・パークさんも惚れた
ぬいぐるみ作家の梅津恭子さんが、
六本木の「生活のたのしみ展」に来てくれて、
「凄いなー」と思ったというツイートをしてくれた。
その後に「布博」にも行き、こんなツイートになった。
<生活のたのしみ展も、布博も素晴しくて眩しくて、
なんだかわからないけど、ちょっと落ち込んだ(笑)>
それを読んで、もちろん「ほめられた」と思ったぼくは、
梅津さんのツイートを引用して、こう書いた。
<ぼくもそういう落ち込み経験をいっぱいしました。
いまも、してます。
それは、とても肯定的のことだと思ってます>
梅津さんは、もうひとつツイートしてた。
<落ち込むって悪い意味じゃないのです。
そこの中の人として自分が居ない事を
残念に思う落ち込み。つまり、
それくらい素敵な空間だったという褒め言葉です(笑)
その証拠にまだ余韻で何もできない~>
ほんとにもう、よくわかります!
なにか、じぶんにはできないというものに、
大きな刺激を受けたときには、
ぼくはよく、さみしい気持ちになったりします。
それは、嫉妬にもよく似ていて、
ひがみにも似ていましたが、そうじゃないのです。
「くやしいけれど」という競争心もありながら、
ものすごい敬意があるのです。
じぶんが小さいもの、無力なものに思えてきて、
そういうことを思わせてくれた対象が眩しいのです。
「よーし!」という気持ちは、ここで熟成します。
若いときのほうが、この気持ちになりやすいですが、
年をとっても、これが無くなったらつまらないです。
ぼくには、正直言って、まだまだ残っています。
やがて、清水ミチコさんが、この一連のやりとりに
<ええ話や>と、省エネなツイートをしてくれました。
そして、矢野顕子が<私だけじゃなかったんだ>と、
あの声が聞こえるようなツイートをかぶせてきました。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生活のたのしみ展は雨と寒さ(予報)の本日が最終日です。