SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ1/15(日)ほぼ日メモ

 

今日のダーリンより

・「ボトルネック」ということばを、
 いまはわりとたくさんの人がふつうに使っている。
 ぼくは、このことばが、「びんの首のところ」、つまり、
 「細くなってて中身が出るのにつかえてしまう」部分、
 というような意味で使えると知ったときには、
 うまいこと言うものだなぁと思った。

 びんの絵をイメージして、
 さらにびんの首のところを想像して、
 そいつを逆さにして、中の液体が出るようすを思う。
 この頭のなかで再生される「動画」が見えたら、
 「ボトルネック」という考え方が、とてもよくわかる。
 しかし、この頭のなかの「動画」なしに、
 ボトルネック=隘路、障害、進行の妨げになる部分
 などと、ことばにことばを対応させるだけで考えていたら
 実際に「ボトルネック」的な状況があったときの
 使い勝手が、かなり落ちるのではないかと思うのだ。
 「ボトルネック」というびんの首のイメージが、
 せっかく「ものごと」の見事な比喩として
 提示されているのに、それを利用しないという手はない。
 論理としては、「障害があるなら取り除く」というような
 とても正しそうな方法をとってしまいがちなのだけれど、
 「ボトルネック」ということばのイメージには、
 余計な景色もあるわけで、それは例えばガラスだとか、
 びんの置いてある場所だとか、中味の液体の性質だとか、
 そんな「ついでみたいな、連関しがちな情報」だ。
 しかし、その「ついでみたいな」情報を、
 視野の周辺に置いて考えることは、実に大事なのだ。
 これって、もしかしたら
 「大局観」と言われるものと同じなのかもしれない。
 
 ものごとに困ったときに、
 「明けぬ夜はない」という比喩は、
 論理的な解決方法を指し示してくれるわけではない。
 しかし、問題解決への意志をキープさせてくれるし、
 同時に「時間」の要素が要るいうことを示唆してくれる。
 困っている問題を直接解決しようとするよりも、
 天体が演出する昼と夜の比喩は、有効だったりするのだ。
 「イメージ・比喩・大局観」、ここらへんのことは、
 なんだかとても興味深い。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
世界はただあるわけじゃない。人のこころが世界を見てる。