Twitterログ12/20(火)ほぼ日めも
これは気になってたやつhttps://t.co/x69UBaH8qI
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年12月20日
これにのってるアイフォンケースぐらい、シンプルでカード入れられるのが欲しいこの頃。赤じゃないし、これ以外のブランドで全然いいんだが。https://t.co/XjLlfd5ADe
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これを見てどんな反応が出るかで体調がわかるhttps://t.co/c7U6Hx51Dp
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今日のダーリンより
『・世の中の「忙しさ」の感覚というのは、大企業の「生産から市場に届くまでの時間」による。というのは、吉本隆明さんに聞いたことだった。
農業が主な産業だった時代の時間感覚というのは、種まきから、田植え、稲刈り、脱穀を経て市場へ、というわけだから、半年くらいのサイクルである。工業社会になって、例えば自動車産業だったら、部品の製造や仕入れ、組立て、販売店からオーナーへ。設計から考えたらもっと長い時間になるだろうけれど、「つくって、売る」までにかかった時間が基準になる。食品なんかだったら、もっとずっと速度はあがるだろう。なにかをつくって、運んで、売る、買う‥‥という流れ。雑誌だって、かつては月刊誌が中心だったし、その後は週刊誌の時代になって、その草創期には、「そんなに、週に一度なんてできるのかいな?」と、冷や冷やさせられてたらしい。それぞれの時代の時間感覚というのが、そういうふうにイメージ共有されていて、それより速いサイクルのものが現れると、「このごろなんだか気ぜわしいな」と感じるようになる。
しかしこのごろは「つくって運んで売って買う」までが、ひょっとするとゼロに近づいてきているわけで。インターネットの情報が、ものすごい速度で、大量に送られ、受けとられ、ゴミになったりもしていく。稲作時代の時間感覚はともかく、工業社会の忙しさも、はるかに跳び越えた秒速時代だ。つまり、そのことをしっかり噛みしめて考えるならば、速すぎて「だれにもついていけない社会」に、ぼくらは暮らしてるということだ。おそらく、人の思考や、人の感情や、人の身体は、そんなに速い時間の進み方のなかで機能できない。50万年もかけてつくられてきた人体のありようが、そんなに速い時間に合ってないのだろうと思う。
いまのこの時間感覚にじぶんの身体を合わせようとせず、もともとの「人体時間」を尊重しながら生きていく。こういうことが、あえて「知的な選択」として、実行していけるように‥‥なりたいものであります。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。マシンと競争するようなことは、絶対やめたほうがいいね。』