Twitterログ 11/22(火)メモ貼り、ほぼ日メモ
完全に映画の告知動画だろってレベルの力の入れようですが、こういうのってどれぐらいお金がかかってるんだろうhttps://t.co/AQ7hVR2yYY
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年11月22日
題名から、最初全く関係ないRS思い出したhttps://t.co/4BfaFlVZVj
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確実に年末年始に向けられてるけど、誰か勇者よ…笑https://t.co/4p0qMXnkPn
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動物3連発。カルティエのトラって新鮮→https://t.co/h1urnp6c4s
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→妙に見てしまうのは、象だからこその物理的なハラハラ感?https://t.co/z1gKY1Buh5
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ほぼ日、今日のダーリンより
・京都にくると、思い出すことがある。
この場所が、いわゆる都会じゃないせいなのだけれど、
田んぼや畑がすぐ近くにあることで、
その季節その時期の食べ物のことを思うことになる。
無人販売所に置いてあるのは、
近くの農家の人たちのいちばんつくりやすい作物だ。
夜を歩くとき、月がでていないと真っ暗になる。
家もあるし、街路灯もあるのだけれど、
散歩のコースによっては、真っ暗の闇にも出合う。
この、闇の黒さをふだんは忘れている。
そして、ほとんど無音という状態もある。
自動車の通る音がないと、
家があっても音のしない時間がある。
鳥やカエルや、セミなんかの声は娯楽のように聞こえる。
自然を求めての旅先でのことなら、
もう少しものめずらしい気分で味わうのだろうが、
ぼくのいるのは、いちおうは生活の場なのである。
さっきまでの言い方とは逆なのだけれど、
人びとの暮らしが、ここにはあるわけだ。
静けさのせいもあって、道で立ち話している人たちの、
あれやこれやのおしゃべりが、よく聞こえる。
路地のどこかから、京都弁のやりとりが、
ドラマのように響いてくる。
夕方から夜になると、窓の開いている家から、
家族の話し声やテレビの音が聞えてくる。
こういうことは、東京では感じてなかった。
どうしてなのか、老犬が、京都に来るとよく歩く。
田んぼの間の畦道なんかだと、ノーリードで、
得意げに前を歩いて、ぼくの行き先を決めてくれる。
「このあたりは、老犬とおやじのカップルが多いな」
と言ったそばから、あ、それはじぶんのことだと気づく。
こんな場所と、港区北青山がワープトンネルで、
つながっていたらいいのになぁとしみじみ思う。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いずれ未来の都市計画って、都市と自然のセットだと思う。