SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 10/30(日)メモ貼り

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・小さいこどもって、いままでにない経験をしたりすると、
 細胞が入れ替わったかのように、
 ぐぐんと成長していることがある。
 身体や、脳が、新しいことに出合って、
 「どうしようどうしよう」と必死で対応しようとする。
 そうすることによって、疲れたりもするし、
 あたらしい思考の回路ができたりするものなのだろう。
 身体が急激に大きくなる時期に、
 「成長痛」というものがあるけれど、
 それの軽いものは、たぶん、しょっちゅうあるのだ。
 
 そして、あたらしい刺激、あたらしい経験に出合って、
 それに対応するために苦しんだり、
 変化したりするということは、大人にもあるように思う。
 親しい家族やら友人やらとの別れだとか、
 住んでいたところを引っ越しすることだとか、
 進学だとか、就職だとか、失恋だとか、結婚だとか、
 これまでになかったことがあるたびに、
 ぼくらの身体や脳は、それを「ストレス」として感じる。
 いいことであっても、わるいことだとしても、
 あたらしいことはみんな「ストレス」なのだ。
 そして、その状態をどうにかすることで、
 じぶんのほうが変化していくというわけだ。
 こどものように、目に見えての変化はなさそうだけれど、
 こういうことのくりかえしが、人を育てていくのだ。
 
 いま、ぼくは高知、四万十の旅から帰ってきて、
 なにか、それまでとおなじじゃないような気がしている。
 デザイナーの梅原真さんのガイドで、
 あの地域の、特有の景色と食べものと人びとと、
 現在と、過去と未来を見せてもらってきたのだが、
 「もっと続けて考えなきゃ」ということが、
 この旅で、山ほど増えてしまった。
 映画やら本やらの表現を受けとめたときにも、
 そんな気持ちでいっぱいになることはあるけれど、
 やっぱり、じぶんの身体まるごとを動かして、
 歩いたり見たり聞いたり食ったりしてきたことのほうが、
 受ける「ストレス」の総量が大きい。
 「かわいいこには旅をさせろ」と言うけれど、
 「かわいいじぶんには旅をさせろ」だよなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
変われるということは、そのまま、感謝したいことである。