SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

一を聞いて「より良く」十を知る、ようになりたい。

自分にとっては、「うまく息を抜く」ようにすることが大事なんだと、今更ながら(今更だからこそ)。

 

 

今でも人の話をしっかり聞けているかは怪しいものですが、幼い頃よりはしっかりしようとしていると思いますが、それがだいぶ不器用で過剰な感じになってるな、と。

 

 

小さい頃は今よりもっと好き勝手にしていてもっと自己中だったので、親に「人にもっと興味を持ちなさい。」と言われたことがありました。みんな、親からいろんなことを言われながらも気にしないで流してることなんていっぱいあるかと思うんですが、その時の一言が、当時はなんというかずっと引っかかってた。別に興味を持ってないとも思ってなかったし、だから「うるせーよ。」とも思ったけれども、そう見えるってことは何かあるのかなとも。

 

その時のその言葉が「もっと話を聞きなさいよ」というニュアンスに感じられたので、じゃあ「話を聞く」ってどないやねん?ってなったんですね。

 

んで、元々話すのも上手くないから、「一を聞いて十を知る」じゃないけれども、相手が話したことにどんな様々なことが紐付いているんだろう?みたいなことを前よりも気になるようになってました。

 

 

もちろん前よりもよくなったこともあるはずなんですが、この頃は類推が過ぎて逆に迷惑をかけてしまうことが多いな、とも思うようになりました。勘違いをおこしてちょんぼしてしまったりとか。

プラス、自分がどうも周りの人たちに比べて気分の波が少ないようで、みんなの共通して持つ距離感(例えば、「気分悪いのか〜大変だね。」ってぐらいでさらっと流して気にしないでいればうまくおさまって全然問題のないこと、とか)が感覚的にわからずに、変に気にしてしまっているようなこともあるようだ、とも。元々イライラすることが少ないから、「そのイライラはすぐおさまるようなことなのか、それとも何か深く推し量った方が良いことなのか」みたいなことを気にしてしまったことがあったり。

 

 

元々の頭の性質が極端なようで、気にし始めたら気にしっぱなし、しなかったらしなさすぎ的なことがよくよくあるので、バランス感覚を体のゆるい体感にまかせれるようにしたい。よくわからない話だとは思いますが。

運動神経が悪いと言われたことはなく、元々ふつうのスポーツ少年として体ができてきたんだから、「体が心地よく動くような感覚に脳を任せる」ことが向いているかもしれないし。

 

 

やっぱり人間テキトーなぐらいが適当。