SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

メモ7/10(月)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・気まぐれのように、フィルム式のカメラを手に入れて、
 恐る恐るそいつで撮影などはじめている。
 こういうことは、やがて知らず知らずのうちに
 飽きてしまうこともおおいに考えられるので、
 いまのうちに、思っていることを記しておこう。

 どんな経緯で買ったかということについては、
 それはそれでなかなかおもしろい物語があったのだが、
 話しているときりがないので、そっちはまたいつか。

 しばらく前から、フィルムカメラに興味があった。
 カチカチと律義に組み立てられて美しいなという
 「機械もの」への郷愁もなくはなかった。
 いま目の前にあるのはじぶんの年齢に近いくらいに古い
 ドイツのCONTAXというカメラで、
 ウィンドウに置かれているのを見つけて、
 「うわ、かっこいい」と、外観に惹かれてしまった。

 もうひとつは写真を一枚撮るごとにコストがかかること。
 何枚撮ってもタダだというのは凄いことだけれど、
 それに慣れきってしまって、
 写真を撮るという、「釣り」のような愉しみを、
 魚群に向けて投網を放つ「漁業」にしてしまうのは、
 ちょっと残念なのではないかと思ったことだ。
 1枚ずつの写真を、「よしっ」という手応えを感じつつ、
 もうちょっと丁寧に撮ってみたい。
 そんな気持ちもあったような気がする。

 しかし、理念として、いちばんの興味は、
 「結果が見えない撮影」ということだった。
 デジタルカメラの撮影は、あらかじめ、
 「こういうふうに写ります」というモニターを見て、
 出来上がり(結果)を確かめては、シャッターを切る。
 いまの世の中で繰りかえされていることって、
 たいていがこのスタイルである。
 モニターのなかに表れる結果を、採用するというだけ。
 フィルムのカメラには、そのモニターがないのだ。
 「こうなるといいな」と思って見つめて、撮る。
 その当たり前のことを、怖がってちゃだめだよね。
 そういう気持ちを思いだしたくて、という理由だった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「モニターに見える未来」を追うって価値増えにくいよね。