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SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

ログ5/6(土)ほぼ日メモ

 

今日のダーリンより

・繊細であるとか、感受性が強いとかは、
 わりと価値の高いことのにように言われる。
 逆に、神経が太いとか鈍いとかはややばかにされます。
 
 感じやすくていいことも、あるとは思いますが、
 それは、そんなにいいこととも限らない。
 火災報知器なんかのセンサーの感度が
 ちょっと高めに設定されていると、
 ちょっと魚が焦げたくらいでブザーが鳴ってしまいます。
 
 ほんの少しの化学調味料を感じられる人の、
 「舌がぴりぴりして、吐きそうになる」
 というような声を聞いていると、気の毒だなぁと思うし。
 傷つきやすいとか、肌が弱いとか、胃が悪いとか、
 本人たちもつらいということだろうなとも思います。
 
 まぁ、そんなことを言っているぼく自身も、
 感じやすいところと、鈍感なところの両方があって、
 鈍でどんどん押してこられると逃げ出したくなるし、
 感じやすさゆえの痛みについて訴えられても、
 戸惑うしかないし、敬遠したくなったりもします。

 ただ、ぼくは、鈍なほうに鈍なほうに歩んでいこうと、
 練習を続けてきたように思います。
 どう言えばいいんだろう、つまり、
 センサー感度高いのも、わるいわけじゃないけど、
 「感じることそのものよりも、
 なにかすることが目的なんだからさ」と思ったのです。
 感じたことを物語にして表現するにしても、
 「表現する」ということを「する」わけですよね。
 そこには、感じたことを切ったり削いだりするという、
 ある種の暴力的な決断が要ると思うんですね。
 どこまでも繊細に感じ続けていても、
 それをいったん止めて「なにかする」のでなくては、
 ただの線の切れたセンサーになってしまいます。
 どうしても、そこでは鈍にならざるを得ないでしょう。

 そうは言っても、鈍を磨きぬいたのか、「感じる」ことを
 すっかり忘れちまったような人にはなりたくないわけで。
 そういう往復運動そのものが、わたくしなのですね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いつになったら、ぼくは『今日のダーリン』を休むのか?!