SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ4/25(火)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・こどものとき、長嶋茂雄さんの、選手時代の色紙に、
 「好球必打」と書いてあるのを見て、それを記憶した。
 意味は、「いい球がきたら、必ず打つ」ということだ。
 これ以上の意味はないだろう、小学生でもわかった。
 「いい球を打つ」って、当たり前だろうと思った。
 しかし、ずっとそのことばを忘れないままでいた。
 いま、「好球必打」ということばが、とても好きだ。

 打席に立ったとき、いい球がくるとは限らない。
 打ってはいけない球、打つのがむつかしい球を、
 投手は投げてくるに決まっている。
 「いい球」なんかひとつも来ないかもしれないのだ。
 その「好球」が来ただけでもうれしいことで、
 そいつは、必ず打つべきなのである。
 見逃してもいけないし、いい加減に打つのもいけない。
 「必ず打つ」のである。
 
 いい球がきたら、考えてちゃいけない。
 「好球考打」なんてものはない。
 どんな球でも打ってみせるぜ、なんて過信しちゃだめだ。
 「全球必打」ということも、ありえない。
 「好球必打」とは、チャンスに誠実にあれ、である。
 
 かつて、ぼくは、初心者のときに感じたはずの
 「打席に立てるよろこび」を忘れちゃいけないと書いた。
 打てる場にいるからこそ、打てる可能性がある。
 どれだけ打席に立てるかが、ヒットの数を決めてくれる。
 そして、「好球必打」だ。
 恵みの「好球」を、必ず「打て」だ。
 見逃すんじゃない、考えるんじゃない、ありがたく打て。

 以上は、ぼく自身に向かって言っている。
 ぼくらは、いや、ぼくはグラウンドにいて、試合中だ。
 打席に立つことをよろこべ、そして、「好球必打」だ。
 だれが? ぼくが、打って走るのだ。
 打席のなかで論じるな、考えるな、見ろ、好球を待て。
 打てる球は、絶対にくるはずだ、ほら、今日もまた。 
 長嶋茂雄の色紙のことばを、憶えていてよかった。
 朝から、夜まで、いくつもいくつもいい球がくる。
 眠ってるんじゃなかったら、「そいつを必ず打て!」。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
毎日、好球を見逃し悪球に手を出し、居眠りしてるわしら。