SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ4/13(木)ほぼ日メモ

 

 

 

今日のダーリンより

・血気盛んで売り出し中って人は、
 じぶんや、じぶんたちがどれほど強くて、
 どれだけ先見性があって、どれくらい情熱的かを語る。
 よく考えれば、じぶんにも、そういう役割を
 求められている場面が何度となくあったように思う。
 ただ、そんなに強い人の話は、聞いてておもしろくない。

 なにかで有名になった人なんかだと、
 じぶんがどういうふうに戦って勝ってきたかを語る。
 政治家だろうが実業家だろうが、
 タレント、スポーツ選手、デザイナーであろうが、
 講演みたいな場所では「勝ってきた記憶」を紹介する。
 勝ったのなかに、失ったものがある‥‥なんてことは、
 たいていは言わないけれど、あるんだろうなと思う。

 ほんとうは、うまくいった話、失敗した話、
 勝った話、負けた話のどれよりも、
 いちばん聞きたいのは「後退戦」の話なんじゃないかな。
 負けたとき、あるいは負けそうになったときに、
 どういうことを考えたか、どうじたばたしたか、
 なんなら、どう逃げたか、どう誤魔化したかでもいい。
 負け戦のなかに、小さくてもいいから手がかりを探して、
 転じて攻撃に向かうのか、被害を少なくして退くのか。
 無数にいろんなことが考えられる。

 いや、ね、ここまでの話は後から考えたこと。
 ‥‥プロ野球が開幕したでしょ。
 そしてね、勝ちが続いているときよりも、
 無残に、あるいは惜しくも負けているときのほうが、
 身を入れて真剣に試合をたのしんでいるんですよ。
 むろん、贔屓のチームが勝ってれば気分がいいし、
 勝って勝って優勝をめざしているに決まっているのだが、
 いちばん凝視していたいところは、
 負け戦のなかの、意志やら、希望、戦略などなどなのだ。
 ぼくが、ちょっとマゾなんですかね。
 こころがひりひりしているときのほうが、
 生きている実感がある、とか言うつもりなのか、オレよ。
 そこらへんの性質については、よくわからないのですが、
 「負け戦」のほうが高度なおもしろさがあるというのは、
 「やがて勝ちたい気持ち」が、底にあるからでしょうね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あと、負けているときの態度で、人のかっこよさが見える。