SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ4/6(木)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・こどものいるおかあさんは、じぶんの家のこどもが、
 どういうふうにアホか、であるとか、
 どんなマヌケなことを言ったかであるとか、
 どんなふうに言うことをきかないかだとかについて、
 けっこうたくさんしゃべってくれる。

 ときによれば、こどものほうも、
 じぶんのところの親が、どんなわるいクセがあるかとか、
 しょうもないことをやっているとか、
 だれにということもなく、チクったりしている。

 もちろん似たようなことは、夫婦の間でもあって、
 じぶんとちがって妻は、このような悪癖があるとか、
 夫がどれほどロクデモナイ人間であるかなどについて、
 親しい友人などに具体的に語っていたりすることも多い。
 
 学生や生徒という立場の人たちが、
 先生のしょうもない発言や行いについて、
 あれこれと論評しながら笑いあったりしていることも、
 逆に先生が、特別な生徒についてあのバカがなどと、
 他の先生に訴えたりしていることもあるだろう。

 いわば、すべて、悪口である。
 しかし、どれも、かなりの割合で、愛情表現でもある。
 悪口を言ってる当人は、それを言われている人のことを、
 よく観察したり、親しく関わったりしているのである。
 気にかけたり、じっと見たり、違和感を感じたり、と、
 相手との関係を「しょうがない」と言える程度の距離で、
 ずっと保っているのである。
 そんなに、嫌いな人のことをよく見ていたりはしない。
 わたしたちは、あんがい人を好きで、よく見ている。
 気にかけたり、眉をひそめたりしながら、
 その人のアホなところを娯楽にして暮らしている。
 
・ぼくは、「通夜のにぎやかな人」になりたいと思う。
 あいつはアホだったろくでもなかったと、
 言いあうために集まってもらえるような人が憧れだ。
 人生の目的は、「にぎやかな通夜」だと言ってもいい。
 そういう日が来たら、それはぼくのいちばんうれしい日。
 しかし、その日のためのネタがまだまだ足りてないのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
どれだけ生きたかは、周りの人たちのこころのなかにある。