SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ3/31(金)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

【・一冊の本を、はじめから最後まで読み通して、これだったら、「はじめに」の部分と第1章を読むだけでよかったんじゃないかと、思ったことはありませんか。ぼくはあります。特に新書なんかの場合は多いです。だからといって、「はじめに」と「第1章」だけでは、本という商品にならないのでしょうね。つまり、書籍という商品の場合、ある厚さがないと、人はお金を出してくれない。

映画でも、15分くらいの長さでおもしろいという作品は、きっとつくれると思うのですが、やっぱりいまの時代だと90分以上ないと、商品として認めてもらえないでしょうね。15分の映画だったら、入場料300円だな、とかね。

逆に、ネット上の表現なんかだと、どんどんどんどん短いものが要求されてきていている。昔だったら400字詰め原稿用紙がひとつの単位だったし、もっと簡便なもので200字詰めだった。しかし、いまおそらく400字は「長文注意」とか、妙なことを言われてしまいそうである。おそらくこの調子だと、20文字以内であらゆることを語る「べき」だと言う人も出てきそうだ。一方で、上下巻の長編小説はベストセラーになってるが、「長過ぎる」と文句を言う人は見たことがない。いっそ、だれか言い出してもいいような気もするけど。

時間にせよ、モノにせよ、量は「表現」である。とにかく「量感」があればいいという商品だってある。逆に、軽い小さいだけで勝負している商品だってある。それぞれの「表現」が、質とは別に、どんな「量」で受け容れられるのかを、送り手のほうは、真剣に考えなくてはならないだろう。

指圧とかマッサージなんかも、気持ちよくて効くのなら、10分で同じ料金を払ってもかまわないとも思うけれど、現実のぼくは、うたた寝できるくらいの長い時間を、「あああ、もっともっと」と望んで横になっている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。この『今日のダーリン』の文字量だって、どうなんだろう。】