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SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ3/11(土)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・3月11日だから、ということで、
 なにかものを書く人は、それぞれに考えることになる。
 まる6年経ったということで、なにを書くのか。
 それとも、なにを書かないのか。
 いったん、たくさんのことを考えて、
 やがて、どうするのかを決めなければならない。
 
 品のない言い方をすれば、書く「ネタ」はある。
 怒り、悲しみ、やるせなさ、諦念、警鐘、
 どういう表現になるのかによって、
 いろんな文章が書かれていくことになるだろう。
 地元にいて、ふだん思ったことを書いている人たちは、
 なんとなく、この日には書かないということで、
 この日を過ごそうとしているふうにも見える。
 なんだか、とてもわかる気がする。
 現地では、震災からの日々は、ずっと日常そのものだ。
 あえて、3月11日に「書かない人」になるということは、
 日常から離れ、特別な日として黙するということだろう。

 悲しみに関わる儀式には、かならず黙祷がある。
 どんなことばを発するよりも、発することをやめる。
 それは、なにも言えない小さなものになることで、
 祷るべき相手への敬意を示すというやり方だと思う。
 
 たしかに、いろいろと思うところはある。
 あることはあるのだけれど、それは、
 根本的にたいしたことのないものだとわかっている。
 最初から、ずっとそう言ってきたけれど、
 ぼくやぼくらは、ほんとうにたいしたことのないものだ。
 たぶん、ぼくらが口を開くよりも大事なことは、
 いくらでもあるし、それはわかっている。
 
 ‥‥わたしはこう思う、わたしはこう考える、
 わたしはすばらしい、わたしは知っている‥‥。
 そんなことばが、空中で交通渋滞を起こしている。
 「いいでしょう?」というプレゼンテーションよりも、
 「よかったよ」のほうが、ほんとうなのだ。
 「こんなに思ってます」の告白ではなく、
 「思いをありがとう」の側に、ほんとのことばはある。
 なんてことを、ぼくは結局、書いているけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ともだちに会いに行くつもりで、東北に行ってきまーっす。