SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ2/22(水)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・人間が、原始の時代だとかのように、
 もっと直線的な日常を送っているころには、
 一日のなかに、あんまり多くのことがなかった。
 会う人の数にもかぎりがあって、
 やることもひとつとかふたつとかだったと思う。

 人の一生についても、いまの人たちのような
 あれがあってこれがあってというふうな、
 たくさんの出来事はなかったろう。
 日が昇って、日が照って、日が沈んで、月が出て‥‥。
 そんなふうに、くり返しのリズムがあって、
 生まれて、生きて、死ぬ。
 そういうことを、退屈だと思うのか、
 ちょっとうらやましく思うのか、
 ひとりの人のこころのなかには、どっちもあるだろう。

 ぼくらの生きているいまの時代には、
 あれもあって、これもあって、あれこれあって、
 いくつもいくつものことが泡のように浮かんでは消える。
 悲しくてたまらないような出来事があっても、
 その感情にずっと浸ってはいられない。
 次の場面になったら、しっかり者の顔で、
 いかにも希望に満ちた明日を語ったりする。
 そして、うれしいことのあった人に会えば、
 いっしょにそれをよろこんで笑い合ったりもする。
 深く考えなくてはならない問題などがあれば、
 電気スタンドのあかりの下で悩んだりもする。
 そのたびに、感情の流れも変えるし、
 想像する景色も変えているはずである。

 ひとつの感情にいつまでもつきあっていることも、
 次々に起ることに対応するために、
 くるくると考えも思いも変えていくことも、
 どっちも人間のやることにはちがいない。
 ぼくらは、ひとりずつが、
 ひとつの肉体を持つひとりの人間だけど、
 昔の人のようなこころと、いまの人のこころとを、
 行ったり来たりできるはずだと思っている。
 ゆっくりできる日をつくって、ひとつの感情に、
 じっとゆっくり浸るようなことをしてみたいと思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
やっぱり、人のこころの底の底には、さみしさがあります。