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SuperBall のように。

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ2/9(木)ほぼ日メモ

1日Twitterログ

 

今日のダーリンより

・ずいぶん昔になるけれど、「亭主元気で留守がいい」と、
 おばちゃんたちが集って唱和しているCMがあった。
 当の亭主たちも、「えらい言われようやな」と、
 苦笑するくらいの反応で、おおむね受け容れられていた。
 
 あらためて、そのことばをいま考えると、
 亭主が、元気でしかも留守である、なんてことは、
 もう最高の家庭なのではあるまいかと思えてくる。
 「留守」であることのそれぞれの理由については、
 これはもういろいろありそうなのではあるが、
 少なくとも家の外のどこかに、亭主であるところの
 彼を必要としている場がある、ということが言えそうだ。
 家だけで必要とされている男というのも、
 なかなか哀しいものだと思いますからねぇ。
 そして、なにより「元気」なのだということがすごい。
 そうなんだよ、「元気」だというだけで、
 とってもありがたいことなんだ。
 それは、他の人たちが「目を離していられる」ことだ。
 親しさだとか、愛情だとか呼ばれているような感情が、
 ないわけじゃないのだけれど、忘れていられる。
 「ずっと見ていなければならない」という関係は、
 見ている側の人の行動をずいぶんと制限することになる。
 「目を離していられる」くらいの「元気」は、
 もうとんでもなくありがたいことなのだ。
 おまけとして言えば「留守」も、同じ意味を持ってるね。

 ただ単に「元気」であるとか、
 もっと即物的に「丈夫」であるとかいうことは、
 人をほめるときの最後の一要素みたいに思われているが、
 それが、どれほどたいしたことなのか、
 いまくらいの年齢になってしみじみわかるようになった。
 
 先日の「ほぼ日手帳ミーティング」で、
 「ほぼ日手帳って、どうして続けて使えるんだろう?」
 と、いつもの質問をしたら、こんな答えが返ってきた。
 「やっぱり、丈夫だからじゃないでしょうか」
 ‥‥名答だ、使い続けられることの前提はそれだよな。
 すごい分量の紙を挟んで、すっかりぶ厚くなろうが、
 1年間、丈夫で壊れないでいるからこそ使ってもらえる。
 こんな基本のなかの基本を、つくづく再認識したなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼく自身の基礎も、あんがい丈夫で、わりと元気、だもの。