SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ2/5(日)ほぼ日メモ

 

今日のダーリンより

・いわゆる「根性論」ってやつがあって、
 世間の「なになに論」のなかでは、
 「結果論」と同じように評判がよくない。

 ぼくも、「根性論」と呼ばれるような考え方、
 なんでも根性で乗り越えられるというような幻想は、
 まちがっていると思う。
 そのまちがいを信じている指導者のせいで、
 たくさんの犠牲や失敗もあったと思う。
 ぼく自身、なんども「根性論じゃだめなんだ」と
 言ったおぼえがある。
 しかし、ふと思うのだ。
 「根性論じゃだめだ」としたら、なにをするのか。
 そこのところが、ほんとうは
 分け入って探検すべき領域だと思うのだけれど、
 「だめだ」のところで終わっちゃってる例が、
 とても多いとも思うのだ。
 
 わかった、「根性じゃだめだ」として、
 なにが要るのかを、考え、試し、実行していくのがいい。 
 そうしたら、「根性」はなくてもいいのだろうか?
 「そうだよ、根性なんて要らない」と、
 すっと答えられる人もいるのかもしれない。
 しかし、ほんとうに、そうなのだろうかとも思う。

 「根性」というと、もうそのことばに
 手垢がついているかもしれないけれど、
 「ねばり」だとか「もうちょっと向上したい」だとか、
 「しつこい」だとか、「よーし!」だとか、
 そういう気がなくて、すっとうまくいくことって、
 あんまりないんじゃないかなぁ。
 仮にそんなふうに見えたとしても、
 その前にあきるほどの練習がしてあって、
 仕上げのところで「すっとうまくいく」になってるとか。
 だとしたら、練習の段階で、
 すでにがんばっていたということがあるわけでさ。
 「根性」はやっぱり要るんじゃないか?

 このごろ、ぼくはそんなふうに思っているんですよ。
 これは、「根性論」じゃなく、「根性も論」かな? 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
根性ない人の代表みたいなぼくでも、ねばりはなくはない。