Twitterログ1/29(日)ほぼ日メモ
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2017年1月29日
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今日のダーリンより
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・よいことにつけ、よくないことにつけ、「へんになっちゃう」人が、いる。「へんになっちゃう」というのは、「過剰になる」とか「逸脱する」「歪む」というような、なんにせよ、異常になるということなのだと思う。文字だけで表現するとわるいことのように見えそうだが、必ずしもそういうものでもないのが、悩ましいところだ。
だいたい、フィクションのヒーローなんてものは、ほとんどが、「へんになっちゃった」人たちだ。過剰だし、逸脱しているし、おおいに歪んでいる。だから目立つし、人に胸騒ぎも起こさせるし、奇跡のような現象を招いたりする。その「へんになっちゃう」登場人物とかを、平凡な、あるいは石頭の、さらには権威主義的な、もっといえば日常にしがみつく、小心者共が、攻撃したり、足を引っ張ったりするのが、わりとふつうのドラマのパターンになっている。 だからなのか、「へんになっちゃう」ことは、人びとにとって、とても魅力的に思えるし、応援すべきもののようにも感じさせることが多い。「わたしがやらなきゃ、だれがやる」と、人びとがやらないようなことをやったり言ったりすると、たいしたもんだ、と、おおいにウケちゃったりもする。
だから、まだじぶんが何者でもないこどもの時代や、青年の時代には、「へんになっちゃう」ことは、人に認められたり、社会に認めさせるいい機会だと、「へんになっちゃう」ことを目的にする人もでてくる。 ときにはそれが犯罪になり、ときにはそれは芸術になり、ときにはそれはホラ吹きになり、ウソつきになり、ときには芸能やスポーツや政治のヒーローにもなる。そうなりたいものだと、思ったり考えたりする人は、かなりたくさんいるだろうと思うし、ぼくも、「へんになりたい平凡な人」のひとりだった。
しかし、あきらかに「へんになっちゃう」ことで、迷子になってしまう人もいっぱいでてくる。「へんになっちゃう」ことの扱いには、技術が要る。ひとつだけ言えるのは、目的から目を離さないことかな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。へんとふつうとを、せめて行ったり来たりできてればねー。》