SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ1/1(日)ほぼ日メモ

 

 

今日のダーリンより

・もちろん、新しい年になったことを
 人並みに祝いたい気分はあるのですが、
 さっきが大晦日で、いまが元旦なんてことを、
 毎年繰りかえしていることに、ちょっと飽きまして、
 おそらく「ほぼ日」をはじめてから初めてでしょう、
 二日で前後編、あえて昨日からの「つづき」として、
 今日の原稿を書くことにしました。
 
 親になった人が、じぶんのこどもになにを望むか?
 そんなにあれこれ望むこともないなぁと、
 ぼくの場合は、わりに早めに気づいてしまいました。
 それでも、なにかしらを期待しているにちがいない。
 なんだろう、ほんとに遠慮がちにでも望むことって。
 そう考えていると、「やさしいこ」なんて思いつきます。
 そして、それもぜいたくな望みかなぁと考え直し、
 「あかるいこ」とか思ってみるのだけれど、
 じぶんのこどもが「あかるくないこ」でも、
 それはそれで、本人がよければかまわないことです。
 そうなると「げんきなこ」というあたりに、
 まずは期待を寄せてしまいそうでした。
 でも、「からだが弱い」ということだってありえます。
 「元気がだせない」としても、それもオッケーでしょう。
 「わるいことをしないこ」とかもあるかもしれない。
 つまり、まぁ、犯罪とかに走るのは、困ることは困る。
 でも、はからずも悪事をすることだってあるでしょう。
 それは、そのこに特有の個性というよりは、
 人間というのは、だれだってそういうもの、
 「わるいことをする」かもしれないものですからね。
 そうやって考えていくと、「どうでもいい」になります。
 ほんとうに「どうでもいい」とは思ってないのにね。
 なにか望むこともあるような気がしていたのです。
 やがて、ぼくが、じぶんのこどもに望むことは、
 「死んじゃわないでくれ」だとわかったのでした。
 だけど、人間はだれだって死ぬわけだから‥‥そうだ、
 親のぼくよりも先に死ぬのはよしなさい、としよう。
 これくらいなら、こどもに望んでもいいのではないか。
 いいよ、それ以外は、「どうでもいい」からさ。
 「親より先に死んではいかん」、これだけ言っておこう。
 そして、ぼくは『ひとつやくそく』という歌をつくって、
 ときどき、そのことを思い出したりしています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
そういえば、「生きろ。」というコピーもあったっけなぁ。