Twitterログ12/24(土)ほぼ日メモ
— SuperBallkun (@s_ballkun) December 23, 2016
— SuperBallkun (@s_ballkun) December 23, 2016
— SuperBallkun (@s_ballkun) December 24, 2016
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年12月24日
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年12月24日
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年12月24日
これぐらいのエリのスウェットもいい。蛍光もあるし。https://t.co/5Z7nw6Kv0c
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年12月24日
定期的に流れてきてやっぱりにやっとしてしまうのでお借りして貼る。前にも貼った気がする。 pic.twitter.com/jPLVQrBYXB
— SuperBallkun (@s_ballkun) 2016年12月24日
今日のダーリンより
・矢野顕子のドキュメンタリー映画『SuperFolkSong』に
ついている「ピアノが愛した女」というサブタイトルは、
当時のぼくのやった仕事だ。
「だれよりもピアノを愛した女」という言い方なら、
そのまま素直にわかってもらえるのだろうけれど、
楽器であるピアノが、人間の女を愛するというのは、
ちょっと違和感を感じる表現だったかもしれない。
しかし、うれしいことに、
「逆でしょ?」とか「わかりにくい」とかいうご意見は、
ぼくの耳にはまったく聞こえてこなかった。
おそらく、ややこしいことを説明しなくても、
矢野顕子ファンなら、すっとわかっちゃうのだろう。
それほどに、矢野顕子がピアノで、
ピアノが矢野顕子という関係になっていたのだ。
人が、なにかを対象として、
そこに向けて強く働きかけ続けていると、
作用に対する反作用として、
対象からの影響を受けていくという。
こう、マンガ的な例を出すとね、
熊撃ちの名人なんていう猟師さんが、
なんだかすっごく熊に似ていたりするだろう。
熊のほうからの影響を受けているんだよ、あれは。
昨日、ここで「環境まで含めてじぶん」と言ったけど、
熊なしに猟師はいない、ということが固定されていく。
そういうことは、たしかにあるんだよ。
誤解されるといけないけど、映画なんかで見てると、
警察と犯罪者が、雰囲気だけならよく似てたりね。
そういうふうに考えていくと、
「あんまり夢中になったら、それになっちゃうぞ!」
ということは、いい意味でもわるい意味でも、
はじめから覚悟しておいたほうがいいよね。
「そんなに夢中になってピアノをやってると、
あっこちゃんみたいにピアノに愛されちゃいますよ!」。
それは、ま、いいほうの例かもしれないな。
悪口ばっかり言ってると、悪口人間になっちゃうよとか、
人のアラばかり探しているとアラ人間になるぞとか、
そこらのことも教えておいたほうがいいかもしれないね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
まぁ、気持ちのいいことに、夢中でいたいものだけどねー。