SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 11/25(金)ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・今場所の相撲は、いつもより見ているかもしれない。
 夜遅くのスポーツニュースでだから、
 あんまりいい観客じゃないのだけれど、
 それでも、稀勢の里の取り組みなどに興奮している。
 ぼくの側に、相撲に「感心できる目」が育ってないので、
 これくらいのところでおもしろがるしかない。

 昨日は『聖の青春』という映画のことを書いたけれど、
 映画のことを「感心する目」は多少持っているけれど、
 実は将棋のことについては「感心する目」がないので、
 ただの将棋盤の上に駒が並んでいるだけにしか見えない。
 役者たちが、盤をじっとり見つめていたり、
 一手ごとに「おおおっ」とか唸ったりしているのを見て、
 そういう場面なんだろうなと思うばかりである。
 将棋だけのことではないが、
 「感心する目」には質というものがあって、
 上級者が感心するところを、入門者などは気づかない
 というようなことなど、いくらでもある。
 
 ぼく自身のことで言えば、野球については
 「感心する目」はけっこう育ててきたように思う。
 その質が高いかどうかについては、問われても困る。
 じぶんで必死になって野球をやってきた人たちが
 培ってきた「感心する目」と、
 観戦ばかりをしてきたぼくらの「感心する目」とでは、
 ずいぶんとちがうはずなのだ。

 ぼくは、たぶん「広告」や「表現」についての
 「感心する目」はけっこうあると思っている。
 こういう分野のことについては、それほど興奮しない。
 感心するにしてもしないにしても、わりと冷静なものだ。

 世のすべての「コンテンツ」について、ぼくが思うのは、
 「もちろん、じぶんがそれをできなくてもいい。
 せめて感心させてもらえないだろうか」ということだ。
 古代都市を観光するにしても、絵画の前に立つにしても、
 若い音楽を耳にするにしても、殴り合いを見るにしても、
 「感心できるだけの目」がなかったら、おもしろくない。
 赤ん坊のよちよち歩きにも彼女のちょっとした笑顔にも、
 「感心できる目」があれば、生きることがうれしくなる。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ちゃんと「感心できる」人に、ぼくは感心したりもします。