SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 11/19(土)ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・「真剣である」ことは、簡単なようでむつかしい。
 人は、あんがい真剣じゃないものです。
 真剣そうに見えていても、真剣そうに見せていても、
 ほんとうに真剣だということは、
 あんまりなかったりするものです。
 涙ながらに語ったとしても、怒声をあげて叫んでいても、
 そういうことは、あんまり関係ないのです。
 感情を激しく表現していても、真剣とはちがいます。 
 「真剣である」ということが、
 人にしっかり届いたときには、
 意見を異にする人たちの間にあっても、
 こころが通じます。
 そんなことを言うぼくが、
 「真剣である」がどれほどあるかと問い返されたら、
 ときどきある、くらいしか答えられません。
 でも、なくはないです。
 さらに言えば、真剣が通じなかったこともあります。
 
・昨日、「東京電力福島第1原発」に、
 はじめて福島の高校生たちが見学に入りました。
 両親と話し合って許可を得て、
 校長先生ともしっかり討論をしてきています。
 あらかじめ書面にもつくってあった質問の数々は、
 メディアの人たちも真っ青の、核心をついた内容でした。
 東電福島復興本社の石崎芳行代表や、
 廃炉推進カンパニー最高責任者の増田尚宏さんに、
 見学バスのなかで静かに質問し続ける女子高生たちを、
 ぼくも、たぶん取材の記者たちも、
 じぶんたちの若いころと比べて見ていたと思います。
 福島の高校生たちの真剣さが、美しく見えたのでした。
 重くもないし、感情をぶつけているのでもない。
 でも、「真剣である」ことが、空気をつくるんですよね。
 むろん、その真剣さに、石崎さんや増田さんも、
 迫力を感じるほどの真剣さで、静かに答えていました。

 大きな事故、不幸からはじまったことなのですが、
 この人たちが、次の時代を拓いていくのだなぁと、
 なんだかわくわくするような気持ちになりました。
 絶望は愚か者の結論、未来はあの人たちの時代ですよね。
 軽やかに、そして真剣に、どうかたのしくね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
大人たちは、種蒔く人たちに、どんな畑を贈れるのだろう。