SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 11/17(木)ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・日本、といってもずいぶん広いのだけれど、
 おおざっぱに言って、この日本では、
 ほんとの「迷子」になることは、ほとんどなさそうだ。
 道に迷って、行き先がわからなくなることや、
 どこかで記憶を失ったりすることも、なくはないかな。
 しかし、多少でもことばをしゃべれたら、
 あるいはいちおう歩くことができたとしたら、
 「迷子」状態から脱するための、次のステップに行ける
 (深い山の奥だとかは、ちょっと別にしてだけど)。
 のどが渇いたとしても、水の流れや水道に類するものに、
 どこかでぶつかるだろうし、
 食べものについても、木の実だとか食べられる草が、
 どうしてもいうときには、ないわけじゃなさそうだ。
 もちろん、都市における「迷子」状態だったら、
 もっと生きる術は見つかりやすいだろうし、
 親切な通行人や、交番のお巡りさんのような人たちが、
 あれこれ苦心して、「迷子」の家を探してくれそうだ。
 
 ぼくは、飛行機の窓から、たまに見る
 砂漠というやつが怖くてたまらなくてさ。
 行けども行けども砂ばかりって、
 想像するだけで恐ろしい景色に思えるのだ。
 しかも、それは想像の世界じゃなくて現実にそこにある。
 砂漠を行く人びとについても、絵や写真では見る。
 人と、らくだと、荷物が、延々と続く砂漠を行く。
 ここで、「おまえを置いていくぞ」と言われたら、
 生きていけないかもしれない「迷子」になるのだろう。
 なにかと道に迷ったりうっかりしたりしがちな、
 「ほぼ日」乗組員のYさんやらNさんなんか、
 砂漠の民として生まれていたら、とっくに死んでるね。
 若くして干からびているだろうよ、大変だよ。
 
 平気で「迷子」になれる土地で生まれ育った人間と、
 隊から離れたら死に直面する砂漠で生まれ育った人間と、
 どちらもこの世界に生きて暮らしている。
 しかし、生きることへの意志だとか技術みたいなものは、
 まったくちがってくるのだろうなと思う。
 砂漠で生きていく人たちや、氷原で暮らす人たちが、
 どういう心持ちで生きているんだろうと、
 たまに考えはじめると、気が遠くなってしまう。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
でも、世界には日本みたいな土地のほうが少ないんだよね。