読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 11/6(日)ほぼ日メモ

 

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・昨日は、「アトリエシムラ」の工房の方々と、
 「TOBICHI」で座談会のようなことをしました。
 染めだとか、織りだとか、伝統文化だとか、そういう、
 ひとつひとつのことを受け継いでいるというより、
 志村ふくみさん、洋子さんがしてきたことを、
 まるごと呼吸しているという印象でした。
 むろん、志村さんたちも、お弟子さんたちも、
 じぶんたちの考えていることを、
 ことばにすることについて、得意なほうだと思います。
 それでも、ことばからことばを受け継ぐのではなくて、
 いっしょの海を泳ぐように、全身全人格、まるごとで、
 こころや技を吸収しているように思えるのです。
 
 まるごとを、まるごととして習い、身に着けていく。
 こういうことができたらいいだろうなぁと、
 前々からぼくは思っていたのですが、
 できているところでは、できているんですよね。
 
 宮大工の小川三夫さんのところも、そういう感じでした。
 ことばで習うのではなく、仕事や生活のまるごとを、
 写し取っていくように身に着けていく。
 職人のやり方、身体をつかう仕事の学び方では、
 そういうことが当たり前のようになっているようです。
 
 いまの時代の仕事のやり方とは、
 かなり逆行しているようには見えますが、
 いわゆる近代的な「はたらき方」のしくみと、
 職人的な「はたらき方」は、
 矛盾することばかりではない‥‥のではないか、と、
 ぼくには感じられてならないのです。
 それぞれの「はたらき方」の、
 どこが、どんなふうにいいところなのだろうか?
 それを、もっとじっくりと見つめて考えていきたいです。

 いまのところ、ひとつだけ「これ」と思えるのは、
 分業が少ないということです。
 「まるごと」を吸収するために、「まるごと」に関わる。
 志村さんの工房でも、小川さんの「鵤工舎」でも、
 ひとりひとりが、「まるごと」をやっています。
 これ、もっとゆるいですが、「ほぼ日」もなんですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あと、意外と「一人前」になる時間は短いような気もする。