SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 11/4(金)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・ぼくは、冗談のように言っているけれど、
 理想は「ご近所の人気者」である。
 この「ご近所の人気者」というコンセプトは、
 中崎タツヤさんのマンガのなかに発見したものだ。
 例によって例のごとくな夫婦が、会話していて、
 妻のほうが夫に向かって、
 「あんたはご近所の人気者になりたいんだね」と言う
 (元のそのマンガが見つけられたらうれしいんだけど)。
 読んでいて、「おれも、そうだ」と思ったのだ。
 幸か不幸か、うちのほうの妻も、ぼくのことを
 「ご近所の人気者をめざす男」だと考えているという。
 どこが悪い、と開き直ってはいるけれど、
 けっこう長い間、自ら「ご近所の人気者をめざしてる」
 というようなことは、言い出せないでいた。
 
 しかし、いつの間にとじぶんでも思うくらいすなおに、
 「おれは、ほれ、ご近所の人気者をめざしてるから」とか
 へらへらしながら言えるようになっていた。
 世間から見たら、やっていることは、
 ご近所と呼べるようなエリアを超えているとは思う。
 しかし、それを進めていくやり方や、
 それをするにあたっての思想(?)は、
 「ご近所の人気者」のようにと言ってよさそうだ。

 「ご近所の人気者」は、たぶん、
 「わざわざ遠くから」やってきた、という感じや、
 「考えに考えて」やってるというような見え方や、
 「引くに引けない」という重大な決意みたいなものとは、
 ぜんぜんちがうのです。
 ご近所を歩いていたら、やることになった
 ‥‥というくらいの、ご近所の縁みたいなもので、
 どうしましょう、こうしましょうと転がっていく。
 そういう、分相応なというか、
 たいしたことなさそうな仕事をやっていくうちに、
 あらまずいぶん遠くまで届くこともあるよ、と。
 こんなやり方を、しっかりやっていきたいわけです。
 「ほぼ日」も、そんな感じでやってきたし、
 「ドコノコ」も、ご近所と世界がおなじように見えます。
 ‥‥ことさらに、遠さや広さに目を向けなくても、
 「ご近所の人気者」のできることは、いっぱいある。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
このへん言いやすくなったのは、大震災のころからかなぁ。