SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 10/29(土)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

町田康さんが、かつて「猫の人間観」というものを、
 いかにも作家らしい言い方で語ったことがあった。
 猫は、人間のことを、
 「顔とそれを載せている台」だと思っていると言うのだ。
 それを聞いた、知り合いの猫の飼い主たちは、
 我が意を得たりというように、激しくうなずいていた。
 ぼくは猫と暮らしている人ではないけれど、
 なんだか妙に納得した。
 犬でも、仔犬のうちは人間を「顔と、その台」だと
 認識してるような気がする。

 猫から見た人間というものについては、
 ほんとのところどうなの? とことばで訊けないのだが、
 人間が、なにかのものごとを、
 どう思っているかについては、それなりに質問できる。
 冗談と本気と区別のつきにくい言い方だけれど、
 「おれはカレーは飲みものだと思ってる」という発言を、
 はじめて耳にしたとき、新鮮なショックがあった。

 おなじバナナというものについてでも、
 おいしいおやつだと思っている人もいるし、
 料理の材料だと思ってる人もいる。
 自転車をかっこいいスポーツのツールという人もいる、
 そして欠かせない日常の移動手段という人も。

 これが、「もの」でなくて「こと」になると、
 もっとずっと複雑になってくる。
 「男女」とは? 「結婚」とは?「家庭」って?
 「幸せ」ってそういうこと? 「仕事」ってなに?
 まったくおなじ見方考え方なんて、ないと思うんだよ。
 そして、まじめな人ほど、じぶんに見えてる見え方が、
 いちばん真実に近いと考えやすい。
 他の考えの人に「信じられない!」であるとか、
 「恥を知れ!」とか「バカ!」とか言う人についても、
 それは、ある種のまじめさが原因だとも言えるだろう。
 「顔と、その台」や「カレーは飲みもの」みたいに、
 新しい見方だとおもしろがれればいいのだが、
 なかなかそうはいかないものだ。
 まじめさって、かたくなさでもあるからなぁ。
 じぶんの中のまじめ成分は、50%以内にしたいね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
おなじ考えなんてないって、ある意味さみしいんだよねー。