SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 10/15(土)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・松茸というのは、毎年同じ場所に生えてくるらしい。
 だから、ある年に松茸のとれた場所に、
 その区画の権利を持っている人が翌年も行くことになる。
 権利は、松茸のとれる山の区画ごとに入札して決める。
 松茸というのは、どこかにひょいっと顔を出すような
 フリーなものじゃないんだということだ。
 
 それでも、すべての松茸の存在が把握できるか、
 といえば、そういうものとも限らないらしい。
 例えば、前にブータンに行ったときに、
 松茸はとれますよーという話を聞いた。
 しかし、現地の人たちはそれを好まないので、
 価値を感じてないのだという。
 ここでの松茸は、フリーに顔を出しているのだろう。
 
 いや、なんで松茸のことを思い出したかというと、
 他でもない、ノーベル賞の件でね‥‥。
 ぼくにしてはものすごく珍しい時事ネタだよ。
 ノーベル賞というのは、毎年毎年、
 だれが受賞するのだろうと、世界中で予想されている。
 誰それが今年、そうでなければ誰それが‥‥と
 専門家による、かなり信憑性の高そうな記事が出てくる。
 その予想枠のなかにいる人物が、
 受賞したりしなかったり、意外でしたとコメントしたり、
 つまり、そんなふうなことになっていたと思う。
 松茸山の入札の儀式みたいなものだったわけだ。
 
 そこにボブ・ディランだ。
 これは、まったく別の山で発見された松茸だ。
 「そっちの山の、そいつも松茸だったのかい?」
 専門家もびっくりしてしまうような松茸狩りだった。
 本人というか本松茸がどう思ってたかは知らないけれど、
 このニュースを聞いたたくさんの人が思ったろうよ、
 「こんなところにも、天然の松茸があったのか!」
 そして、されにおもしろいことになる。
 「だったら、さ、あいつも‥‥それとか、あいつも、
 ノーベル賞もらえるかもしれないな!」と思うだろうよ。
 「おれこそが松茸だ!」と思うことが自由になったのだ。
 そう、専門家が予想しないところにも松茸があるのなら、
 もういっそ、あなたが松茸なのかもしれないのよ!

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくはこれを「ノーベル賞の大発明」と呼ぼうと思います。