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SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 8/16(火)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

 

 

 ほぼ日、今日のダーリンより

・人には、それぞれ、それなりに役割というものがあって。
 たとえば、落ち着いている人という役割がある。
 これは、たいてい、年長者が引き受けている。
 あわてて、あるいは、急いでなにかに反応しても、
 大きなところで穴が空いてしまうこともあるし、
 ほんとうに大事な判断をするには情報が足りない、
 というような場合がある。
 年長者というか、年寄りは、
 何度もそういう経験をしてきているので、
 「おっとっと」と、ものごとの重心を見定めようとする。
 
 あわてるとか、急ぐとか、とにかく行くという役割は、
 わりに若い人がやることになっている。
 こちらは、まさしく危なっかしいこともあるけれど、
 それまでの流れとちがう方法や、解決を探しだすには、
 こういう要素がないと、なにもはじまらない。
 
 なんで、こんなことをいまさら考えたかというと、
 うちの犬の動きに、ムダがなくなったからである。
 老いるというのは、こういうことなんだなと思ったのだ。
 必要なことだけをして、あとはじっと休んでいる。
 それを見ているぼくが、似てきているような気がして、
 なかなか複雑で「どうしたもんかなぁ」と思案中である。
 行動を禁じられてもいないのに、余計なことはしない。
 行こうと言われれば、行かないでもないし、
 言われなければ、そのままでもいい‥‥という態度だ。
 ものぐさ、というよりも、それが自然なのだと思える。
 
 「ドコノコ」のおかげで、世界中の犬や猫を見られる。
 「ドコノコ」が登場した日と、ほとんど同時期に生まれた
 アメリカで育っている仔犬をフォローしている。
 毎日、写真や動画をたのしみに見ているのだけれど、
 この仔犬の行動が、すべて「余計なこと」だらけなのだ。
 飛びつく、転がる、走る、噛む‥‥と、寝る以外は、
 すべてが、しなくてもいいことばかりなのだ。
 すなわち、これが遊びというものなのだろうなと思う。
 「遊び」と「生きること」が同じなのだ。
 いまは老いて落ち着いているウチノコも、こうだった。
 どっちも、自然で、どっちも必要なことをしている。
 ん~、つくづくじぶんはどうありたいかを考えちゃうね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日手帳2017」のいろんなことが揃いつつありますよ。