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SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 8/11(木)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・人に、なにかを訊かれずに生きてきたら、
 ぼくは、いまよりも、ものを考えなかったろうと思う。

 ふつうに友人どうしの間で、家族との間で、
 仕事なかまとの間で、質問したりされたりはよくある。
 そして、それに加えて、「取材」という場面があって、
 いろんな人に、さまざまな角度から
 数えられないほどの質問をされてきた。

 訊かれる内容は、わりに似てくるものなのだけれど、
 ぼく自身の変化がめまぐるしい時期には、
 考えてなかったようなことも、質問されるようになる。
 質問するほうも、それに答えるほうも、
 予定通りのやりとりをしているのはつまらない。
 「そのことは、とても大事そうなんだけど、
 言えるようなかたちで考えたことがなかったな」
 なんて思うような質問をきっかけに、
 じぶんの考えやら思いやらが整理されていく。
 その経験が重なるほど、たぶん、人は成長すると思う。

 「わからない」とか「いまは、まだわからない」
 というようなことを正直に言いながら、
 「いま、あらためてそれを考えてみます」なんて、
 真剣に考えることをしはじめたら、
 それは、思考にとってのものすごい鍛練になるはずだ。
 
 ぼくは、いい取材を受けてきたことで育てられてきた。
 このごろ、しみじみそんな気がしている。
 熱心に、誠実に、親身に、真剣に、わくわくしながら、
 発せられる質問と、それに対しての新鮮な答え。
 そして、うなずきと、新たな質問のくりかえしは、
 ずいぶんと重労働で疲れるのだけれど、
 それをやってきてよかったと、つくづく思っている。
 
 取材をされた経験には「よろこびを含んだ肯定」がある。
 ぼくは、じぶんが取材をする側になったときには、
 相手にも、ぼくが経験した「よろこびを含んだ肯定」を
 味わってもらえたらいいなと思っている。
 なんのメディアがないとしても、取材はおもしろい。
 みんなが遊びとして、「取材」をし合えばいいのにね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あ、「ほぼ日」には乗組員相互インタビューがあるんだよ。