SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 7/27(水)メモ、ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・「どういうところが、いちばん苦労しましたか?」
 という質問は、ほんとうに多い。
 ぼく自身も、いろんな場面で何度も訊かれてきたし、
 ぼくが人に訊いていることもあるだろう。
 
 その質問には「あんがい、苦労してないんですよね」
 と答えてはいけないような雰囲気があって、
 とりあえず無難に「すっごく寒い場所だったんで」とか、
 「なかなか、これというかたちにならなくて」とか、
 それらしいことを言うことになる。
 
 苦労したところを、あえて探せばいくらでもあるだろう。
 ただ、そこが重要だとは思えないのだ。
 なにかができあがったときに、
 「こんなのができた。見てくれ」という気持ちがある。
 わぁとか、ううとか、ひゃーとか言ってほしいのだ。
 いや、じっと黙りこくってしまう反応もうれしいかな。
 どちらにしても、見てほしい、味わってほしい。
 見えるように感じられるようにつくったものを、
 まずはたのしんでほしい、というのがいちばんだ。
 だけど、それより先に「どこが苦労だったか」という
 楽屋裏の話を訊きたがるパターンがとても多い。
 
 なにか、ここだけの特別な情報を知りたいのかなぁ。
 たしかに、そういうものは商品価値がありそうだから。
 でも、ほんとはひょいっと口で言えるような情報は、
 それほどの価値なんかないよね。
 苦労している人、なにかで大変な思いをしている人、
 そういうものの話が、けっこう人は大好きなのかな。
 「ああしてへらへらしてるけど、実は苦労している」
 というと、なんだか認めてやりたくなるのかしらね。
 そういう意味では、「苦労してないです」と
 しれっと答えてしまうのは礼儀知らずということなのか。
 
 なんて書きながら、ぼく自身はインタビュアーとして、
 どれくらい「苦労しましたか」を訊ねたかなぁと、
 思い起こしてみたのだけれど、たぶんすごく少ない。
 逆に相手が「苦労話」をしはじめたりすると、
 「あぁ、そりゃぁ大変でしたね」と流してしまいそうだ。
 たぶん見たいものが「苦労」じゃないからなんだろうね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「苦労」を観賞したがると、なにかが見えなくなるよね。