SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 7/14(木)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・「仔犬みたいにしっぽが振れたらいいな パタパタ」
 という歌詞を書いたことがある。
 松本伊代の『TVの国からキラキラ』という曲の、
 B面だったから、知ってる人も少ないと思うけど。
 
 犬のしっぽの動きが、ぼくは大好きだ。
 犬の顔というのはけっこう無表情なのだけれど、
 しっぽに思いっきり心持ちが表れてしまう。
 勢いよく右左にぶるんぶるんと振ったり、
 お尻の穴を隠すように下にまるまってしまったり、
 どういうこころの状態かが、ばれてしまうのがいい。
 人間にもしっぽがあったら、
 どれだけウソがつきにくいことか。
 あらゆる人が、もっとかわいい存在になりそうに思う。
 
 ただ、よくよく考えると、
 人間にもしっぽのようなものがある。
 動かそうとしているわけじゃないのに、動く筋肉。
 たとえば、「笑う」という行為は
 あたまのなかだけでは完成しない。
 あたまのなかで「おかしい」と思っているだけでは、
 それはまだ「笑う」になっていないわけだ。
 横隔膜をケイレンさせるような大きな動きやら、
 くちびるの両端が上がってしまうことやら、
 はっはっはっはっと断続的に息を吐くことだとか、
 いくつかの無意識の筋肉の動きがあってはじめて、
 「笑う」になるのだ。
 この無意識の動きというのは、しっぽだ。
 そして、人間どうしは、
 そういう無意識の筋肉の動きまで感じながら、
 たがいにコミュニケーションしている。
 
 特に顔の表情に表れてしまうなにか。
 硬い表情だとか、ほっとしたような表情だとか、
 微妙な顔の筋肉の動きを読みとって、
 人は人とこころのやりとりをしているものだ。
 この「しっぽ的」なものを、どれだけ含んでいるかが、
 人のこころの豊かさにも通じているような気もする。
 文章にも、「しっぽ的」なものがあるといいなぁ。
 あるような気もするんだけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ノドが痛くて、どうもだるい。仕事を半分にしております。