SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 7/10(日)メモ、ほぼ日メモあり

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・できるかぎり、じぶんのあたまで考える。
 これは、むつかしいようで、むつかしくない。

 じぶんのあたまで考える、のは、とてもむつかしい。
 じぶんのあたまのなかには、
 あちこちから、借りてきたものや、
 昔からすみついている考えがたっぷりあって、
 それをとろとろとかきまぜて、
 じぶんの考えみたいなものができてくるのだから、
 どこからどこまでが、じぶんの考えかなんてことが、
 わからなくなってしまうし、
 どこらへんがじぶんの考えなのかもわからなくなる。
 それは当然のことなのだ。
 
 でも、できるかぎり、じぶんのあたまで考える、は、
 「できるかぎり」がついているのが、とてもたすかる。
 じぶんの考えを見つけようとしなくてもいい。
 じぶんのあたまのなかの、
 借りものの考えのほうを、たしかめて見ればいいのだ。

 「いまこそ、この問題について考えよう」なんてときは、
 あたまのなかは、借りものだらけになっている。
 だれかが言ってたこと、どこかでちょっと読んだこと、
 そういうもののうち「へー、なるほど」だとか、
 「これは正しそうだ」とか、「かっこいいな」だとか、
 「これなら、りこうそうだ」とか思ったことを、
 そのまま借りて、じぶんの考えとしてしまってある。
 この考えをどこで借りて、どうして選んだのかな、と、
 ちょっと整理をはじめるだけで、
 じぶんの考えがどこらへんにあるのか、またはないのか、
 正直なところが、少しでも見えてきたりする。
 「ほんとは、なんにも考えてなかったのか」とか、
 「訊かれたときに困るから、こう考えていたのか」とか、
 わりと、身も蓋もないことを知ってしまったりもする。
 それが見えるのが「できるかぎり」のいいところだ。
 
 借りものの考えや、借りてる考えの又貸しなんかが、
 激しく飛び交っているような時期に、
 「できるかぎり」のやり方で、あたまのなかを調べて、
 小さな「じぶんの考え」が見つかったらいいなと思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんの考えが矮小でもわがままでも、恥じることはない。