SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。独断と偏見に満ちた妄想。あたりで書いてます。

Twitterログ 6/27(月)メモ、ほぼ日メモあり

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・肉は、肉のもとになる獣よりも、
 その獣を獲った猟師よりも、
 その獣の肉を切り分ける者よりも、
 その肉を配るもののパワーとして表現される。

 つまり、たとえば、こういうことだ。
 税金というのはもともと、人や、法人が払うものだが、
 いったん国だとか県だとかに集められる。
 それは「予算」というかたちになって、
 必要とするところに配られることになる。
 国が予算を持ってる都が予算を持ってる、と言われる。
 どこにどう予算を使うかということが、
 「肉を配る」ということになる。
 国が力がある、東京都は力があるなどと言われるのは、
 その「肉を配る」場にいるからだ。
 
 企業がモノやサービスを売る。
 人々や企業がそれを買うから、お金が集まる。
 集まったお金を例えば広告に使おうとして、
 代理店に預ける。
 代理店は、メディアや制作会社に「肉を配る」。
 代理店に逆らえないなどという幻想が振りまかれるのは、
 「肉を配る」役割を持っているからだ。

 稼いだ人よりも、集めた人よりも、育てた人よりも、
 磨いた人よりも、料理した人よりも、
 いちばんパワーを持っているのは、配る人。
 肉を切り分けて、「それ、あんたに、これくらい」と、
 なるべく手渡しに近いかたちで配る人なのだと思う。

 だから、いま「肉を配る」位置にいるものは、
 その場所を動きたくないのだ。
 創るものでもなく、集めるものでもなく、
 配るものの場所にさえいればパワーが保てる。
 いろんなことが変化する時代なのに、
 いい考えが、思ったよりうまくいかない理由は、
 「肉を配る」ことが、既得権になっているからだと思う。
 
 なんか前から、こうじゃないかなぁと考えてたことを、
 整理できないままだけど、書いてみました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「財布を握ってる」かあちゃんが、とうちゃんより偉いの。