SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 6/26(日)メモ、ほぼ日メモあり

 

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・こどものころに「お店屋さんごっこ」というのがあって、
 けっこうみんながたのしく遊んでいたような気がする。
 色紙を溶かした水が、なにかの飲みものとして
 売られる遊びだったような思い出がある。
 「いらっしゃーい」とか愛想をよくして、
 なんとかたくさん買ってもらおうとする努力は、
 苦しいではなく、たのしい体験として残っている。
 役割を演じる「おままごと」のひとつとして、
 「お店屋さんごっこ」はあるのだろうけれど、
 これは、そのまま文化祭などの出店につながっていく。

 「文化祭の焼きそば」ということばを、ぼくは
 「いちおうできたつもりのハンパな仕事」の比喩として
 言ってきたのだけれど、もう少し別の角度から見たら、
 「お店屋さんごっこ」というのはおもしろいから、
 高校生や大学生になってもやりたいものなんだね、
 ということでもあるな。
 幼児の遊びとちょっとちがって、
 高校生や大学生になると、現実のお金が、
 焼きそばの「お店屋さん」にも関わってくるが、
 通りがかる人たちにお店に入るように誘いかけたり、
 品物の出来のよさを自慢してみせたり、
 ちょっと大盛りにしてサービスしたりは、
 けっこう真剣さの混じってくる遊びなのだと思う。
 しかも、売上げがあがったらなにかいいことも待ってる。
 ちょっとしたヒーローになるとか、
 なにかの予算に使えるとか、社会性を帯びた成功がある。
 
 「お店屋さんごっこ」という「商売」のロールプレイで、
 すっかりたのしく遊んだはずなのに、
 いつのまにか、大人になると「商売」をバカにし出す。
 理由はよくわからないが、そういう人がいる。
 商売は悪だというような、わかりにくいロジックで、
 ときには人を批判したりもする。
 「あいつは商売がうまいから」というのは、悪口なのだ。
 「彼は商売がへたなんです」は自慢なのだ。
 たぶん、じぶんで真剣にお客に向き合ってる人は、
 そんなことは言わないのだろうとは思う。
 「お店屋さんごっこ」よりも、お店屋さんのほうが、
 真剣で、厳しくて、たのしいということを知ってるから。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ごっこ」のよさを真剣に考えるのも、プロの仕事かもね