SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

漢字のおかしな感じ。

小さい頃は素直だったのか、今よりも少しだけおバカだったのか。漢字や文章の見た目をそのまま受けとり振り回されていたのを覚えています。親には今でもネタにされます。

 

例えば国語。

「全国大会」の漢字を見て、「世界大会」と何が違うのか悩んでいました。「全部の国が集まってするんだから世界大会じゃないの?」と。(幼稚園か小学生1年そこらのことだと思います安心してください)

 

例えば算数。

「3+6の式をかきなさい。」「5−2の式をかきなさい。」「りんごを5こ、みかんを4こもらいました。あわせてなんこもらいましたか? 式をかきなさい。」

答え欄にはもちろん全部「式」。

算数って楽勝じゃん! ていうか漢字のテスト? ってマジで思ってました一回だけ。人生で最初で最後の0点をもらいました。

 

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こんな私でしたから、漢字とか言葉に違和感を覚えることがたま〜にあります。

 

(ここからは妄想話が混じります)

例えば。「自己満」。略さずに書くと「自己満足」ですかね。基本的にこの言葉はネガティブな印象で使われるようです。この字面だけ見て違和感を感じたことがありました。「フツーに良い意味に見えるんだけど。」と。

似てる漢字で「自己中」がありますね。この「自己中心的」というのにネガティブな意味がつくのはまだわかりやすいのですが。日本文化ですしね。

 

「自分で己を満足させる(満たす)。」コンプレックスだらけの自分からしたら、とても羨ましく思える言葉です。もしかしたらこの言葉が作られた時にはポジティブな言葉として生まれたんじゃないかなと思ってしまうわけです。

 

もしかしたら、この言葉を使ってきた人たちの感覚によって少しづつ意味がずれてきてしまったのか? と。

 

「よかった〜満足した(満たされた)! 次も頑張るかな〜。」みたいな言葉が、

「何満たされてんの?まだまだ足りないでしょ満足してんじゃねーっつーの! あれもそれも!」っていうある意味熱い人に言葉が急かされ始めた。流れを持って優しさと熱意が伝わればポジティブに聞こえるのに、「足りない足りない!」って後についた要素だけが一人歩きし始めて、そこだけ切り取られてネガティブに使われはじめて、ネガティブに終着している。みたいな。

 

 

当初の意味と違うのに、人々に多く浸透して認められてしまう言葉があるといいます。

今回の僕の妄想はきっと間違っているでしょうが、言葉の意味や感触も変遷していくなら、ポジティブに終着した言葉が増えてほしいもんです。言葉も生きているみたいですね。

 

 

これから生まれる言葉にも幸あれ。