「快感を生むルール」について
昨日「スポーツ時の快感」について少しだけ書きましたが、別の視点でちょっと考えてみたら「ルール」について引っかかったので追記。
「ルール」といったらみなさんどんなことを思い浮かべるんでしょう。
法律のようなものから安全を守るためのものまでいろいろとあるんでしょうが、今回自分が思い浮かんだのは「スポーツ的ルール」です。
例えばサッカー。「手を使ってはならない」という基本原則等、ある種の「縛り」が、その種目全体としての「面白さ」まで形成している。よくよく考えなくても、これって結構すごいことだと思うわけです。種目を作った人、盛り上げてきた人たちを尊敬しています。
それをスポーツ以外の世の中一般に照らし合わせたら、どれくらい見つけることができんるんだ? と。形あるものないものまで。例えば、商品だったり、集団だったりまで。
心地よいものと悪いもの、どちらも沢山あります。
自分はピーターパンシンドローム的部分があるようで、基本的に「ルール」と聞くと抵抗感があります。すみません。特にこのジャパンだと、よくわからんルールでいっぱいでしょう。
個人的に問題だと思っているのが、「自分で楽しいと自信を持って(誇りを持って)、規定できているルールがどれだけあるんだ?」ということです。自分含めて。
正誤問題ではありません。むしろ最適を探す過程の話なので、そんなものはありません。だからこそ難しいものだし、だからこそルール的ものに納得感、自信、清々しさというような「ポジティブさ」が欲しいと思うのです。
「押し付けられてるな」と感じたら、基本的にどこか直すべきポイントがあるようです。これは感受性と距離感の問題でもあると思います。
あと、「物=ルール」とも極端に言えば定義できると考えます。どんな風に使えるか、使いたいか、どうありたいかなどの「ルール」を「わかりやすく形にしたもの」です。だからこそそのルールは直接的で、それを納得もせずに他の人に「押し付ける」となっていたら、それこそ滑稽です。大変気をつけたい。気をつけましょう。
(何を書いてるか怪しいですが、皆さんの イマジネーションに丸投げします。すみません。)
スポーツ的日常に。