SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

「映画のBGM」について

個人的になんとなく記憶に残っているここ数年の映画の特徴として、映画のBGMが印象的だった気がします。もちろん映画において音楽が元々大事なのは承知していますが、「扱い方」が少し変わってきたかな〜という印象。

 

(今回も、独断と偏見をまとまりなくグダグダ書くので、お許しください。)

 

結論として。映画のサビ的シーンにも「ユーモラスさ」「逆張り」傾向が強くなってる気がします。

 

特に多いのは、テンションが上がりきるシーンで「内側がざわつくような」BGMが流れること。

例えばわかりやすいのはアクションシーンです。少し前までの映画なら、多くはシーンにわかりやすく合ったトーンのBGMが多かった。クールだったり、激しかったり、テンポは早め。それももちろんカッコイイのです。ですがそのような「今までの数多くの映画の流れ」に制作側も飽きてきたのでしょうか、新しい印象を抱かせたいがためでしょうか、洒落てるの感覚がずれてきたのでしょうか。もしかしたらそれら全部かもしれません。明らかに「順目」ではない使い方が多くなった気がします。

 

ハッデに空を落ちながらバトってるのに、子供の合唱曲が流したり。ボッコボコに殴り合ってるところで、まるで聖歌のような曲がなったり。

個人的にはそれらの使い方は好きだったものが多いです。それは自分が飽き性で、今までとわかりやすく違ったものが見てみたい、ということも多いにあるかもしれませんが。

 

映画にも「ハズし」のセンスがカッコイイと強く感じられる時期が来ている気がします。

 

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実に多くの映画が今まで作られてきた中で、今度は「音楽に精通している人が主導」で作る映画も面白いかもしれません。

今までの映画の作り手側には、総じて「視覚」に強い人がやってきたものが多い筈です。例えばカメラマンや編集者、画家から監督になったり。もっともっとと求めた上で、「総合芸術」とも呼ばれる映画を求めていくことになるのも自然の流れだと思います。もちろん映画にする上で音楽が入ってくるのでこだわるわけですが、「センスの大元」が「視覚的」だということです。そしてそれらの人が主導で作った作品が多く集まって歴史になっている気がします。

それでは、「聴覚に強い人」はどうか。そこはやはりその人自身が音楽家として大成するのが理想という場合が多い筈。もっともっとと求めても映画監督に進む人は、まぁ少ないでしょう。一曲一曲のMVに視覚的ストーリーを込めたり、アルバム全体でストーリーを作る人はぎょうさんいますが。

 

あと、いわゆる「映画は長距離走、音楽は短距離走」的問題もある筈です。この頃読んだ本の単語を借りるなら、「使う筋肉」の違いというやつ。だからこそ、映画のフィールドなら視覚的監督主導で音楽家と組むのが当然の流れ。ではあるのですが...

 

「アルバム一枚全体で、ぶち抜きの一つの映画にする」的なことをしたらどうなるんでしょう。「想像の幅を狭めたくないから画はつけたくない...」っていう人もいる中で誰かチャレンジをしてくれないだろうか。映画好きとしてはぜひ見てみたい。もしくは、そのような作品が既にあったりするんだろうか。むむむ。

 

一つのアルバムを一つの映画にするとしたら、ずっと出演する主要キャラがいるはず。そのキャラにはきっと、音楽家自身の求めているものが色濃く出てしまうんだろうな。恥ずかしがり屋には大変かもしれない。