SUPERBALLING

とりあえず、好きなことともの。気になったことや疑問。あたりで書いてます。

Twitterログ 9/27(火)メモ貼り、ほぼ日メモ

 

 

ほぼ日、今日のダーリンより

・たのしいことを見つけるというのは、
 とても大切なことだ。
 いま、どこかの店でお茶をのんだりしながら、
 通り過ぎる人たちを見ているとする。
 ただ眺めていて、それがたのしいなら、それでいい。
 眺めているだけではたのしくなくなったら、
 じぶんなりに、歩いてくる人たちの表情やら服装やらで、
 仮説を立ててみたり、妄想をしてみたりする。
 それがたのしいなら、それでいい。
 「いろんな人がいるなぁ」という、そのいろいろを、
 そのまま「いろいろだなぁ」と感じているのも、いい。
 
 たのしくもなんともない場に、
 たのしいことを見つけたり、生み出したりするのは、
 よくそれをしている人には、むつかしいことではない。
 じぶんがたのしければいいのだから、
 人に迷惑をかけることもないし、批判されることもない。
 
 人間がたのしいことを見つけるより前に、
 「これはたのしいですよ」ということが、
 ひっきりなしに流れてくるのが、現代というものだ。
 テレビだとか、ゲームだとか、スマートフォンだとか、
 「ここにたのしみがありますよ」と教えてくれる。
 もちろん、そのことがわるいことだとは思わない。
 たのしみというものを、
 だれかに与えてもらうものなんだと
 思いこんでるそのクセが、もったいないと思うのだ。
 
 たのしいことというのは、だれかがくれるものではない。
 だれかだとか、なにかだとかといっしょに、
 じぶんで生み出すものだ。
 「たのしい」が雨のように降り注いできたとしても、
 あなたがたのしくなるとはかぎらない。
 「たのしい」は、もともとあなたが持っているもので、
 あなたの「なかに(!)」あるものなのだ。
 
 たのしくしてくれる人が好き‥‥そうなんだけどね、
 その人は、あなたがたのしんでいるのを見て、
 じぶんもたのしいと思う人だろうか。
 そうだったら、それでいいんだけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにもなかったら、こころのなかで歌を歌うといいよ~。